ティーレクチャーと時効警察

 金曜日は女子大比較文化研究所主催のティーレクチャーというのを聴きに行きました。アメリカの少女小説の少女マンガへの影響という主題で、英文科の本合陽先生がお話になりました。部屋は満席で、当日受付は打ち切られたくらいでした。英米文学的な知識を基礎にして、マンガの問題を論じた成果は重要なお仕事であると思います。
 話は多岐にわたりますが、とりわけ印象に残ったのは、一つには手塚治虫が、本当はアニメをつくりたかったがお金もないのでマンガをやって、その結果として影響力の強い手法を生み出すことになったということです。映画的なストーリーを提示する動きのあるコマ割などの手法が例示されました。もう一つは、学生さんの質問で、アメリカではなぜ少女小説の影響を受けた少女マンガが生まれなかったかということです。アメリカではマンガのステイタスが低いということが、一つの理由として説明されていました。
 貧しい敗戦国で、アメリカ文化の影響を受けた文化が、限られた資源を動員して、新しい文化(内容と構造)を創り出したということは、非常に興味深いものがありました。物語やストーリー、あるいはセリフや設定を直接模倣し、マンガにしたということもそうですが、余白や線、コマ割その他に、文学の文体や内容がどのように移し替えられたかなど、討議したかったことはいろいろありますが、あっとゆうまに時間がたってしまい、閉会となりました。これからも講演などは積極的にきいてみたいと思っています。大学のHPを見ると、非常に贅沢な講演会がいろいろ開催されているのです。近々緒方貞子さんが講演に見えられたりもするようです。学生諸君も機会を逃さずきいて欲しいものです。
 しかし、自分でもあきれた誤解があったことを教えてもらいました。様々な少女マンガ家がとりあげられていましたが、私はこれまで大和和紀美内すずえを混同していたことを気づいて、自嘲しどおしでした。てょほほ。
 いろいろ考えるところがあって、『県庁の星』を見ました。織田裕二柴咲コウのふたりとも、仏頂面の俳優なワケだけど、このストーリーには適役だったのではないでしょうか。笑えるくらいわかりやすい鮮やかな対比ですが、それだけに現実の一部をざっくり括りとっているのでしょう。『スーパーの女』などに比べると、観察力が行き届いているとは言えないように思いますけれども、その分わかりやすく勧善懲悪が示されていることになるのでしょう。しかし、あまりに話がスケープゴートになるのも困ったモンだとは思いますけれども、どこにでもある話でしょう。で、時効警察ですが、次のようなストーリーのようです。

第6話「青春に時効があるか否かは熊本さん次第!」

 とうの昔に過ぎ去った青春時代を取り戻したいと切望する熊本(岩松了)は、みんなで若さを取り戻すため「温泉旅行に行こう」と提案。そんな折、「青春温泉旅館殺人事件」が時効を迎えた。青春温泉旅館の温泉水には若返り効果があると言われ、その源泉水を使った化粧水「ドリアングレイ」は今や大人気。実際に、旅館の女将・寺島マユミ(西田尚美)は54歳とは思えない美貌と若さを保ち続けている。しかし現在では絶好調のマユミも、15年前は「青春温泉旅館殺人事件」の容疑者に挙げられた人物だった。彼女の温泉旅館の温泉水が水道水だという噂が流れた直後に、対立していた温泉旅館の女将・初老フケミ(内田春菊)が謎の死を遂げていたからだ。やがて熊本の発案で、慰安旅行先は青春温泉に決定。霧山(オダギリジョー)は趣味の捜査も兼ね、三日月(麻生久美子)や時効管理課の面々、十文字(豊原功補)らと共に青春温泉旅館へ。旅館には“つぼ師匠”と呼ばれる気味の悪いマッサージ師(山口美也子)、マユミの娘・紀子(田井中蘭)の姿が…。そこで、紀子の年齢が15歳だと聞いた三日月は、何かがおかしいと感じる。
【脚本・監督 園子温
http://www.tv-asahi.co.jp/jikou/

 MLの方は、話は「関取」から始まっています。麻生が関取だったら笑えるけど、そうではないんでしょうね。こういうやりとりです。・・・三日月「私の青春時代については聞かないの?」霧山「関取の頃でしょ?想像つくから、聞かなくていいや」三日月「……。話終わっちゃいましたよ、霧山さん」・・・となると楽しみなのは、CRリングに出てくるよなデジャブ攻撃がこれから頻出するかということであります。関取デジャブみたいな。まあでも、いつまでも引っ張るほどやぼじゃないよなぁ。本日のポイントになる部分は、次の通りです。

 三日月「はい、はい、そうでした!でも覚えてる?
      あの事件を解決できたのは、私のおかげでもあるんだからねっ!
      私が当時の容疑者だった女将のマユミさんと、
      マッサージ師のツボ師匠の話を立ち聞きしなかったら、
      捜査にもっと時間がかかってたでしょっ?」
 霧山「あ、それはそうだね。三日月くんのおかげだよ。
     三日月くんがいなかったら、事件のもうひとつの側面に、
あんなに早く気付けなかったかもしれない」
 三日月「いや、そんなに褒められても…(照れまくる三日月)」
 霧山「三日月くんが手癖だけじゃなくて、耳癖も悪かったおかげだよ」
 三日月「……それ、褒めてんの?」
 霧山「褒めてるよ。すごいよね、三日月くんは!」

 耳癖というのが気になりますよね。どういうネタなんでしょうか。しかし、最近のこのドラマは、会話の内容も、推理の内容も、その背後にあるちょっとペダンティックな理屈や思想もどーでもよく、快調な速度感とげらげらで話が進行してゆくと、ぼんやりなにかが一瞬見えるような見えないような、そんなことを気にせず突きぬけちゃったドラマの進行を楽しめばよいと言うような、いわゆる「音楽の状態」(佐藤春夫の本でみかけたんだけどさ)になっちゃってるだろう、どうだバカ野郎みたいなすごさがあるように思われました。というか「音楽の状態」みたいなのもどうでもいいわけでしょ。少なくともこのドラマは高級芸術や思想に影響を受けたと言うよりは、それはそれでわかるけど、ドラマは独自な表現としてやってみるよということなんだろうと思っております。