およびでない

 日曜日。久しぶりに早起きして、「いつみても波瀾万丈」で植木等の追悼特集を見る。シャボン玉ホリデーの放送が終わったことはものすごいショックであって、あれは30分番組に4日もかけてリハーサルやったんだけど、そんなことは今では考えもつかないし、そういう番組でやれたことはかけがえのないことだったと植木が語っていたことを最後にもってきたのは、キマりすぎていたとは思うけど、そこに「およびでない」のハプニングエピソードなどが重なって、コクのあるイメージとして結実していたように思う。「間」のよさは、磨き上げられた末のアドリブだったと言えば、すべてが台無しなんだろうけど。
 クレージーキャッツは、非常にハイカラなユニットだったと、昔の写真を見て強く思った。米軍キャンプやなにやかにやの風景が、おぼろげに思い出される。GSブームのきゃあきゃあを今みてみると、かなりやばい映像に見えるのだけれども、クレージーキャッツには、そういうひとさかりの無惨はまったく感じられないと言っても過言ではない。トニー谷のように、エッジたちまくりで尖ってぽきっとおれそうなはかなさはないが、しっとりと落ち着いて、なんつぅかなぁ・・・まあ言ってみれば、芳醇だよな。「たかじんnoばぁ〜」みたいな番組をやったら、貧乏くささのみじんもないようなものができたはずだと思うんだけどな。というか、シャボン玉ホリデー自体がそういう類の番組であったのかもしれないんだけど。
 さんまのまんまで、さんまちゃんとたけしが話していたことを思い出した。島田紳助が、松本竜介の遺族に配慮しているみたいな話で、竜介がかわいそうだってことが、島田紳助にはあるんじゃないかということ。つまり、竜介がなんじゃかんじゃ仕事をやって死んだということ。芸人はどんなに貧乏でも芸人で死ねばそれはそれでオトシマエつくけど、なんかやっちゃったら、それはミゼラブルというしかないということ。深見千三郎が、第2松倉荘で焼死したという話などを思い浮かべていたんだろうか。それはともかく、そういう芸人とは、まったく異質なものをクレージーには感じる。
 などと言いつつ、そんなに覚えちゃいないんだよ。シャボン玉らんららんら♪というピーナッツの歌と、牛乳石けんだかのCFかなんかやっていたかもしれないということと、映画を見に行って、ガキどもがぎゃははははと笑うのが、今のテレビの笑い声と一緒で、映画をよりおかしなものにしていたということ、そのなかでもひときわ馬鹿笑いしていたのが私で、あまりの馬鹿笑いに映画館の人に親が注意されたということとか。学校でさ、みんなでラインダンスみたいにならんで、右手を前にゾウの鼻みたいにだらっとたらして、それをゆらゆらゆすりながら、「すぃすぃすーだららった」とか歌って、先生によく怒られたこととか。
 「ガキの頃からC調で楽してもうけるスタイル」という歌詞なんかは、特に意識するようになったのは、つとめはじめた後だと言ってもよい。当時のヒーローは、いろいろいて、力道山の闘魂、ファイティング原田のひたむき努力、そしてもちろん英語の定冠詞をテヘと読んだとか、敬遠にバット逆さにもったちょーさんのわけわかんねぇ面白さとか、いろいろあって、すべてがダワーの『敗北を抱きしめて』や、加藤秀俊の「国会にでもに行くのは後楽園球場でちょーさんをみたいからだ」という発言などとつながってゆくわけだけれども、「C調で楽してもうけるスタイル」というのは、日本のポップスの魁的なものであったことはたしかだろう。
 植木等は、紅白のことを語っていて、「最初はふさわしくないと出してもらえず、翌年出してもらえたんだけど、1年で堕落したんじゃないか」とか、「クレージーの真似をしている子供が、親に怒られているのをみて複雑な思いだった」とか、そういう部分もあって、でもって、シャボン玉でも、兵隊あがりの鶴田浩二の大まじめを前にしては、「およびでない」もおよびでなかったみたいな話もしていて、興味深かった。
 近頃の学生はまじめになっている。あつい講義が受ける。面白いと思うのは、まじめは禁欲じゃないんだよな。感情や欲望がズルムケというか、全開というか、あるいは場合によっては全開に向けた担保というか、ポップにまじめなんてこともあるんだろうか。そんな時代に、クレージーキャッツの伝説が、紋切り型に語られること、もちろん語ってしまいたくなることへの絶望は、わかってもらえないことの不安定な心地よさを照らし出していて、それが、ギャグをやっていても、舞台をやっていても、名画にでていても、容易に人を寄せ付けないような部分があった植木等の遠い目と重なるような気がする。こんな話は、人前ですべきことではないことだとは思うんだが、なんか一つくらいは赤恥さらして書いてみるのもまた一興かとも思った。