女子大授業評価

 今日の会議で本務校の授業評価が配布されました。大学のFD企画の一貫として、来年度から授業評価のポイントの高い授業を他の教員が聴講できるようになるようです。常勤のみならず、非常勤の先生方も対象です。こういう場合私のような教員は、楽と言えば楽です。つまり、研修のために聴きに来られる可能性はほとんどないからです。ポイントが低いから。たしかにどうやったら高い評価になるかは、みてみたい気はしています。私は講義は下手だけど、少しだけ向上心はあります。下手というか、教養講義の雑談エッセイ風という癖が抜けきらないと言った方がよいかもしれません。岡大時代は、けっこう相互受講ありましたが、授業改善というよりは、内容に興味があったというほうが大きいです。院生時代は学部の講義を聴講にいったし、そこでは他大の先生とかよく聞きに来ていて、授業内容に文句つけて、論争がはじまり、それがまた面白くて、学生たちもそこに聴き入るというようなことがあったりして、文句を言うようなのがいると「授業なんか聴いてないで家で勉強しろ」などと先生が叱責したりして、それはそれで面白いものがありました。
 私が、本年度評価を受けたのは社会学概論、2年ゼミ、3年ゼミ、調査実習であります。毎度同じなのでありますが、全体の平均より一回り小さいレーダーチャートが描かれているというのが、本年度もおなじであります。通常3年ゼミは、来年度の卒論指導のことが脳裏をかすめるのか、みなさん満点近くつけて、嘘こけというカンジなんですけど、今年はがちでつけてあり、とりわけ「準備計画されていたかどうか」という項目で点が低かったのが印象的です。かえって2年ゼミのほうがポイントが高かったのはよいのですが、「質問の機会を適切に与えていた」というのが極端に高かったりして、なんか適当に気分でつけてねぇか?などと思いつつも、やはり「準備計画」のポイントが低く、これは非常に心外なものがございますよ。2年ゼミはギディンズがテキストだったのですが、「教材の内容が適切」というポイントが低く考えさせられました。調査実習は、3年ゼミとほぼ同じカンジでした。
 さて、肝心なのは、社会学概論でありまして、所々教材を補充しながら、浅野本を1年かかってやるという内容でした。「教材の内容」に関してはポイントが高く、ギディンズに比べるとテキストの選定は成功したかなと思ったりしています。むかついたのは、「授業への出席」が異様に高いことです。かなりよかったとは思うんだが、ここまでよかったということはないでしょう。ポイントが低かったのは、「準備」のところは他と一緒なんですが、概論では「理解の程度を点検」というのと、「質問の機会を適切に与えていた」というのが低かったのです。これはちょっと参考になりました。生かすことは簡単だからです。
 自由回答では、気をつけていたので、さすがに「雑談が多い」というのはありませんでした。が、「途中で違う話に脱線したりして眠くなったりした」「話が転々としてわかりづらかった。もっとまとまりをもって話して欲しかった」というのが目につきました。大事なのは、筋道をはっきりさせ、無駄話をせず、必要十分な内容を丁寧に説明するということなんだと思います。実例をたくさんあげながら説明しているのはよいとして、そちらに夢中になると混乱するのでしょう。まあしかし、私は良くも悪くもザッピング的であるわけです。笑ったのは、「授業の対応が不親切という意見があるようですが、私は大学の授業は専門分野だけでなく、ある意味人の理不尽を学ぶ場だと思うので、このままで別にかまわないと思います」。これは皮肉かどうかわかりませんが、対応が不親切な先生という評価は、質問の機会、理解の点検という数字と一致しますし、新鮮なご指摘で、留意したいと思いました。
 代返防止に点呼で出席をとることがあるということについて、15分以上かかり時間の無駄というご指摘もいただきました。ほんとうは、一人ずつあてながら、質疑応答形式で、授業をすすめて行けたら一番イイと思っていましたし、今後もその形式にチャレンジしたいと思っています。名前を呼んで出席をとることは、人間関係の基本だという気もしています。ちょっと前までは、毎回点呼し、ほとんどの名前を記憶していました。まあしかし、15分はかかりすぎ。となると、小テストを毎回して、その時間に点呼するなどの方法もあるかと思っています。