合格発表を前に

 入試も終わり、合格発表が迫っている。アイパー滝沢野見隆明のファンサイトみたいに化している日記に書くのもなんでございますが、少し自分の学科について話してみたくなった。いいことばかり書くが、嘘は書かないつもりである。wオープンキャンパスの時だって、どんな人でもうちにこいというのではなく、相談者の関心を聞き、長所短所を知っている限りの他校での研究教育と照らし合わせて話している。ある受験生に「それなら○○大のほうがいいかもしれません」と言ったら、親御さんがあわてて「いやでも△△は学べるでしょう」などと言われ、「もちろんそれは学べます」と答える、みたいなやりとりをしたこともある。聞いてみたら親御さんはOGのかただった。で、ささやかなコマーシャルでございますが・・・。
 東京女子大学社会学科では、ちょっと遅れたが、社会調査士と専門社会調査士の資格をとれるように制度改革をした。そこでの大きな特徴は、経済学・国際関係論コースの人でもこの資格をとれるようにしたということである。これはちょっと珍しい特徴だと思う(経済学部でこの資格をとれるところはあるのだろうか?)。聞き取り調査、質問紙調査を行う方法論の授業などはもちろん、実習の講義を用意した。担当する先生としては、社会学から農業経済にシフトし、フィールドをまわっておられる方にご担当いただけることになっている。調査能力を身につけた人が、経済政策や、国際開発協力の現場で、専門知識を生かしてゆくという姿は、ちょっと想像するだけでもワクワクするではありませんか。もちろん経済学の知識を体系的に学ぶことができる。社会学のほうは、理論と調査のバランスがとれていて、家族、地域、労働、福祉、理論学史などオーソドックスな分野が充実している。そのなかに私のようなでろでろな文化社会学社会心理学がいるというのは、まさに奇跡とも言うべきことであるが、それもまあ大学の懐の深さかもしれない。
 閑話休題。とある同僚が、「試験監督辛かったッス」とゆっていたので、一人一人の表情をみながら、快適な受験環境を整えるように努力すれば・・・と最近ちょっと悦に入っていた、実は佐伯一麦『ア・ルースボーイ』からパクったうんちくを得意げに諫めるようにかましたら、交通機関の遅れによる別室受験で受験生は一人だったと聞き、反省。さぞかしつらかっただろうと思った。これでは注意深くみる=凝視する=ヘンな人ということになりかねない。昔の武者修行仕様の武士のごとく、相手の呼吸をみる= (;´Д`)ハァハァしているのを、吸った、吐いた、おお今吸った、今度は吐いたみたいに観察するの一つの方法だろうが、下手をすると船をこいでしまうかもしれない。歩き回るにも一人だとなんかヘンだし、試験問題チラ見して解くのも科目によっては限界があるだろう。論文の構想を練るのはいいが、下手をすると夢中になりすぎて、「あと5分」を忘れたりする危険もある。ともかく気合いでのりきったらしいが、終わったあとはすごく疲れたらしい。しかし、ともかく担当のスタッフたちは、できる限りのことをして監督をし、採点をし、判定をしという作業を重ねてきた。なかには連続15日出勤という先生もいるのだ。ともあれ、私は、あとは合格発表を待つばかりだ。が、この間にも厳重チェックしているスタッフがいるはずだ。お疲れ様です。
 ネット掲示板などには、不安を吐露している書き込みがたくさんある。職務上一切コメントできないのだが、一つだけ言えるのは、ウチが発表が遅いのは、事務職員や委員の教育職員の人たちが生真面目に一つ一つ点検しているからだということだ。受験生のかたそれぞれに勉学の成果が結実するといいなぁと思う。わざわざ発表を見に来て、書類を受け取り、学内を歩いている合格者をみるのは、教師にとってはほんとうにうれしいものである。うちの先生たちは、遠くから気づかれないようにさりげなく気を遣って合格者や、学生をみている。教育姿勢も同様である。コテコテの大学ビジネスもなければ、ギンギンのユニバーシティ・アイデンティティもない。しかし、そこにはなんとも言えない味わいがある。入学式も、プロテスタントらしい簡素な空間で行われる。壇上には学長と学部長のみ。そこで一人一人名前を呼ばれ、簡潔な挨拶があり、賛美歌を歌う。壇上に来賓その他連座ましましていることもないし、学長がアカデミックガウンと帽子をかぶっているということもない。もちろん赤白の幕で会場が囲まれているということもない。しかし、単純な空間の凛とした空気は、学問や人間形成の核となるようなものとなるはずである。なかには、私のようなでろでろな教員もいるわけだが、そういうのはほとんど研究室に引きこもってあまり出てこないので、ご安心ください。w