ベムラー

 モデルの蛯原友里さん、エビちゃんというほうがふつうなのかな?が、最近の「美」のトレンドなんですかね。街でも、エビちゃん風にしている人が非常に多いように思われます。たださ、あんまり強引にメイクすると、(バルタン星人がいっぱいみたいなかんじで)ベムラーの群れが道行くみたいに見えて、そのベムラーにさげすむように笑われたりすると、ニコちゃん大王風としては、何ともいえず興趣あふるるものがございますね。無理矢理エビちゃんを、「ベムラー」と呼んでみたくもありますが、あくまで一般論です。具体的な対象を指定するとさすがにそれは人権問題でしょうからね。w

ベムラー
http://homepage2.nifty.com/ms06/bemular/bemular.htm
エビちゃん
http://kyotolife-ogura.seesaa.net/article/17977341.html

 そんなことを考えているのも、いろいろ考えるところがあり『白い巨塔』の古いバージョンと新しいバージョンを見比べて、登場する女性たちの姿に一つの隔世の感を禁じ得なかったからです。とりわけ、太地喜和子は、ほかの作品に比べれば、かなり押さえた演技をしていると思うけど、「いい女」というのにふさわしい存在感であるように思いました。宮崎美子山口百恵ピンクレディーなど、今で言えばどっちかというとぶーでー系全盛の時代において、一つの感情規則を内面化していたアテクシたちの世代において、手元不如意になったショーグンの女優さんもまだまだふっくらしていて、そしてさらに太地喜和子はすでに酒酔い草で二重あごでありつつ、放つ光彩は味わい深いものがあります。
 もちろんハンサムウーマン系もそれはそれでいいものがあります。が、そういう人物は田宮二郎バージョンには登場しません。東教授の連れ合いは、南博先生の連れ合いがやっているわけですが、分際を超えることはありません。島田陽子がやっている役も、和服に着替えて、父親にシャクをしたりして、ちょっとぎょっとしたりします。財前の母役は、名女優がやっているわけですが、本当に昔の苦労人という感じで、感謝して、遠慮して、我慢強く生きている人です。息子の死に目にもあえない。と言うか会わない。黙って帰る。そういう姿を「美しい」と思うノスタルジーは、私のなかにないと言えば嘘になります。それでいいとは思わないですけど。
 それはともかくとして、「美しい日本」はどんなに貧しくても給食費は払う日本だったように記憶しています。払えない人には、先生が貸すこともありました。みたことがあります。でも、「少しずつでも返せ」と言った先生の姿は目に焼き付いています。しかし、だからこそと道徳論議をするのは、性急ではないでしょうか。なかば奴隷として、規律訓練し直すことは、それほどたやすいことなのでしょうか。「美しい日本」の背後には、パワフルな「分け前」、「バラ色の夢」があったことは忘れてはならないでしょう。財前の野心は、何千万人もの成り上がり者の欲望を代表するかのようにめらめらと燃え立ちます。そして、それと、古い選良の「青臭い」倫理が対照されます。
 今日は一時間目概論の試験でした。いつもは、終わる頃には誰もいないのですが、今日は最後までがんばる人が多かったです。非常に熱心に勉強しており、問題が優しすぎるというのに近い指摘をした人もいます。三時間目は補助監督です。女子大では珍しい300人規模の教室で行われている授業のテストの監督。2年以上の学生が受験している部屋を担当しましたら、社会学科の二年生でとっているやつの多くが、うちのゼミにくる椰子らで、結構笑えるものがありました。。通称御宿カワセミが、中途半端なサマンサチックなファッションで、へろへろ答案を書いているのは、なかなか味わい深いものがございました。しかし、なんか他学科の学生は非常にまじめでナーバスですね。社会学科はゆるい感じで、みんなへろへろしているのに、ちょっと殺気だったといえるくらいシビアな試験の雰囲気でかなり驚きました。明日は成蹊の試験です。こちらは法学部の方はかなりゆるい感じで楽しみにやってきました。ただ答案は、まじめです。