伊田広行講演会

 東京女子大学の特色GP「女性学・ジェンダー的視点に立つ教育展開 ―「女性の自己確立とキャリア探求」の基礎をつくるリベラル・アーツ教育」の社会学科プロジェクト「女性学・ジェンダー的視点からライフコースを考える」の一貫として、 伊田広行さんに「シングル単位の社会論―週休3日とジェンダー」というお話をしていただきました。参加者数は約160名(学生150名、教職員5名、一般5名)でした。詳細な報告は下記サイトをご覧ください。
http://office.twcu.ac.jp/support/koza/shakai2006.html
 なぜおまえがそんな話しを書くんじゃいと思うかもしれませぬが、実は木曜日一限の社会学概論の時間に特別授業として話をしていただいたかたちになっているのです。伊田さんと言えば、「シングル単位」論ですよね。本年度の社会学概論は、浅野本をテキストにして、ギディンズの「純粋な関係性」を鍵概念として、社会学の各領域を概説しました。となると、「関係の単位としてのシングル」というのは、授業のまとめ方として、非常によいと思ったのです。12月末にまとめをして、十分予習をしたつもりです。私はノリノリで、ちょっとチョーシこいて、『零の発見』魔で持ち出して、単位ということについてうんちくかましたりしたりしたりして講義にのぞんだのでした。伊田さんの講演会は、岡山時代にも聴いたことがあります。岡山のメンズリブの人たちが主催された講演会でした。
 伊田さんの話は、声をかけたF先生の話からはじまりました。大学院でご一緒だったそうで、「友達がいなかった」伊田さんが、「毛色の変わった人がいる」なあと思っていたら、そのうち東チモールなどの問題で活躍しだしたなどと、ユーモアたっぷりに語られていました。また女子大の教育について、「教室に来る道道に『女性学ジェンダー視点にたつ大学教育』という看板があった。これは感動ものだ。中立中庸の教育が、一般的になってきているなかで、珍しいことである」と触れられていました。で、「一コマしかないので、話せることは限られている。自己紹介と自分なりの意見を話す」という主題提示をされました。元々は、経済や労働問題、家族、賃金、労働、社会保障などなどをやっていた。それがどうしてフェミやジェンダー始めたか?みたいな話になるとおっしゃっていましたが、このあと「フェミ」連発にはちょっとビックリしました。wこのあとはしばらく、語り口調で書きます。

 子供のころからどんなやつやったか??小学校のころは、漢字覚えるのはやだなどという「文句言い」だったけど、学級委員長なんかもした。下敷きの上に消しゴムをおいてゲームなんかをした。中学では、野球が好きだった。四番でピッチ☆。模擬試験の成績は気にするものの、塾はいかなかった。面白い先生がいて、勉強はできた。教科書はとりあげ、少年朝日年鑑やごんぎつねなどをもちいて教育を行った。万博のころのこと。ソ連社会主義は理想としてはいいと思った。
 社会学的には、宮台の言う「強度」を求めていた。やくざ映画などをよく見た。全共闘世代の下のしらけ世代。でも、遊びでも、強度を求めた。勝負が好きで、バスケットなどにうちこんだ。高校時代はキャプテンだったそうだ。萌えるもの。競い合うもの。敵があって萌える。
 はじめのうきうきだった。でも、慣れてくると萎え萎え。で、社会を斜めから見るようになった。サラリーマンやって面白いかな?そんなふうに思った。頑張って、小さい家を買うなんて、ダサイと思った。そんなとき、「怒りの葡萄」の映画を観た。社会を根底的に変える。自分なりの強度を求めれば、社会をもっとおもろくできるんじゃないか。それには強度だ。そういうふうに思っていた。
 革命、ロック、セックス、恋愛、すべて強度だ。恋愛映画好きだった。カサブランカ等々。少女マンガ。男のマンガはおもろない。内田春菊から、レディコミまで。強度を求めて、だるい日本社会で何となく生きるのではなく、なんかグッとくるものをする。そうは言いつつ、他方、ディスコいくカルイあんちゃんだった。でも、こそこそ社会主義の本を読んだりした。中国やソ連はダメダメだが、もともとの精神はすごい。そんなことから、環境運動したり、身近な権力関係を見直すことに思いいたり、ジェンダー論と出会った。北欧のシステム。弱者の人権。障碍者、女性等々について考えること・・・。
 で、80年代上野千鶴子、小倉知加子などのものを読む。元々の専攻は労働問題だったけど。そんなとき、睾丸のガンになって、1ヶしかなくなった。婦人問題研究会の彼女。社会科学研究会、障害者問題研究会のボク。彼女が他の椰子を好きになり、ふられた。ボクは、頭でっかちの「理屈言い」。「自民党あかん」といっても、男っぽかった。ゼミは、竹中恵美子さんのゼミ。90年以降男らしさを見直すようになる。身近から。「強度」の考え方が、反転するきっかけとしての恋愛。
 それまでは、自分と隔絶されたところから、平等が大事だと思っていた。今でもしばしばいろいろ出てくるくらい、恋愛を引きずっている。心の傷がある。恋愛に萌える。彼女に振られる。結婚制度は否定していたし、平等の萌えていたが、分かれることは考えなかった。手紙をもらった。人の話をゆっくり聞く、人の気持ちを知る。怒り、悲しみ、苦しみがわかる。それはできなかった。90年代後半。スピリチュアル。「男らしさ」の見直し。フェミがだんだんわかってきた。今は、授業では、いかに伝えるかということを工夫しながらやっている。
 90年のころ。労働運動、賃金論から。男が妻を養うという賃金論。これが、左翼の賃金論、妻子を養う賃金論。そんなことを言っていたとすれば、マルクスおかしいと言った方がすっきりする。賃金などというものは、一人分の賃金でいいのではないか?一人分の賃金。それ以外の賃金=社会保障などをすればいい。これが、シングル単位論の骨子だ。男でも納得しやすいフェミ。展望の持ち方を話したい。

 このあと、シングル化の問題と絡め、家事分担、労働の問題などについて、概説するという講義になりました。北欧やオランダにおける労働の問題などに触れながら、「正社員であること」「生活を楽しむこと」などについて、わかりやすく話してくださりました。ちょっと困ったのは、シングル論は単位は「1」と話されていたことです。私は「0」とやっちゃったわけで、これはちょっと間違えだったようです。ジョニー・ミッチェルの「青春の光と陰」のようなお話が私には印象的でした。ただそこに引きつけすぎると、シングル論で言いたいこととだいぶそれてくるようです。その辺になってくると、問題提起がしたくなることが多いのですが、「強度」の問題が最初にしっかり提示されていたので、「わかりやすく」聴くことができたように思います。遠方から来られて、朝一限の講演という強行日程を快諾いただいた伊田さんに感謝いたします。