行く年来る年

 石原真理子は暴露の天才だと思う。「意外に普通」「半分だけ」。なかなかゆえることじゃない。しかし、さんまちゃんに森本レオじゃあアイドルとしては意外に普通な気もする。ここは、ガルガンチュワなみの健啖ぶり、そしてならではの悪食ぶりなども魅せて欲しかった気もする。などと無意味に過ごす大晦日前夜。
 今年特筆すべきこと。今までどうしてもできなかったことができるようになったこと。それはなにか?手帳を一年間続けることができたこと。さほど予定もないので、月別に一覧できる薄型のハンディなものにした。それにしても学生などでも、予定がびっちりな人がいる。コンパの日程などを決めると、きちんと書き込んでいる。バイトのシフトもびっちり。予定して生きるのが苦手な私には信じられないことだ。コンパなどでも、その日になって呑もうかという感じで、場所もあいているところみたいなカンジのほうが気楽だし。まあともかく会議や重要な日程だけはつけるようになったのは人生において画期的な年になった。10代前半にノートというものがつけられるようになって、私の勉強というものが変わった。就職してはじめてパソコンを公費で買うことができて、私の執筆というものが変わった。手帳をつけてなにがかわるだろうか?時間管理はまったくできていない。次はこのあたりを目標にしようか?
 教育面で感じていることは、ちょっと前まではギャグ感覚で学問をくるんで学生にぶつけるとそれなりにきいてくれていたのが、ベタに「授業料の無駄」などと言われてしまったりするようになったことである。資料的なこともびっしり書いたどうみてもポイントが見づらいプリントを大量に配ったりすると、熱心な先生だと思ってくれるような奴もいないことはないが、学生はもうちょっとシビアである。教わっている実感が必要だ。で、一つの授業で実験的な試みをしてみた。それは、小刻みに畳みかける質問を用意しておいて、キャッチボールのように授業をすすめる方法である。これがなかなか難しいのだが、キマった時はなかなかの手応えとなる。これに石原千秋風の論文添削方式などをとりいれてみると、だいぶ変わるかなぁなどと思っている。まあこれも、集まる人によるのだろう。
 帰省(というか最近は半通い状態なわけだけど)したらレコード大賞をやっていたのでビックリした。大晦日は、格闘技勝負ということか、はたまたカメのためにここまでやったあげくのはてなのか、その辺はよくわからない。新人賞はバーニングだし天才テレビ君たちかと思ったら、本命のほうだった。歌的にはそうだよね。たぶん。レコ大?はあ?となって久しいが、昔のレコ大などがみられたのは、私たちくらいの年代にはそれなりに楽しかった。ジュディマリもみれたし。しかし、紅茶の美味しい喫茶店は、皇太子殿下お気に入りの柏原さんのほうで、石川ひとみ@ニャンチューじゃなかったことを知り、記憶の曖昧さにビックリした。あと、80年代ってけっこう昔なんだなぁと実感した。もっくんのような人ですら、かなりやばい感じで、あとはおして知るべし。レコ大のあとの久米宏の昭和を振り返る番組で、脱脂粉乳の頃の写真などをみたが、自分は本当にこんな世界で生きていたんだろうかと驚くしかない。
 レコ大候補の金賞に、コブクロスキマスイッチが入っていたのはびっくりしたものの、YUKIはいなかったし、やっぱレコ大はレコ大で、歌謡界っていったいなんなんだろうと、今更ながらばかばかしいほど当たり前のことを思ってみたりもした。こりゃあエロな人で決まりかよとおもったら、倖田來未はエグザイルとのコラボの賞と歌唱賞で、まさかトリプル受賞はありえねぇはなあ、ダークホースは有線大賞の人などと話していたら、無冠の帝王氷川きよしだった。よかったねで、ちゃんちゃん。むかしは誰がとるか力こぶを入れてみていたものだ。野路由紀子(のじゆきこ)だとか、スターにしきのが想定外の新人賞だったときなどは、ヨッシャァあああと叫んだのを思い出した。大晦日は、話題騒然の紅白がどこまで仕込みなのかとか、どっかの週刊誌が書かないか非常に楽しみにしているものの、格闘技と紅白じゃなんともにんともだなぁと思う。