クビドの悪戯のドラマトゥルギー

 土曜日起きて、雑用をすませてから、「クビドの悪戯−−虹玉」の録画をみていて、そこそこ面白く、とりわけ最後の「今宵の悪戯はここまで」というセリフは、どーでもよくっぽく言われちゃったりしていて、これがたとえば黄金期アメリカテレビドラマ調、たとえば奥様は魔女のナレーションみたいなのとは違うところが、なかなか興趣あふるるものがあるように思われて、でもってひときわ光芒を放っているむっちゃんは、どうさだだけど、そこそこマッチョで、しかも一太郎のようなチキンではなく、そこそこリビドー横溢してイルっぽいし、北川弘美は奔放なのにそこそこせつねぇ純情を露骨なまでにチロチロさせたりしていて、他方秋山莉奈のほうは、地味な事務服のねえちゃんなのに、メイクとかドハデだし、ジトッとしていて逝く道逝ってますみたいなところがあり、しかも俳優の名前で検索すると尻尻尻尻尻尻ってあんた高橋新吉かよっていいたくなるようなところがあり、おちょけているけどがちまぢ、ふしだらだけど純情、どうさだだけどねっとりガッツリという具合に、またもや両義的なものの不安定なバランスかよってかんじで、なんかさぁ、パーソンズがビシッと方程式で決めたかったのに、ダメダメで、4象限の図式を無限分割し、どうだ科学だろごるぁああというような、賽の河原に石積み上げるがごとき、エレジードラマトゥルギーだなぁと思うんだけど、まさかそこまでねらってるわけじゃないよな。あたりめぇか。
 今回の主題は「暗闇でメイク」でしょうか。むっちゃんは、チェリーなんだけど、悲しいまでに玉をポトポトと排出してしまう生き物なわけだけど、がまんしようとしてもうぉおおおお、ポトってやってしまう悲しい悲しい生き物の性のようなものが、メイクとしてはなんか狼男っぽく、提示されているような気がして、とりわけ月夜の晩に、北川や尻と絡むともの悲しいペーソスがげらげらと詩情を奏でるという仕掛けで、たぶんそれはさくいのうちでありましょう。で、尻のほうだけど、純情可憐のメイクは、ぼくらの青春の時代に、まったく化粧などしたことなかった級友がラッキーかもしんないというときに、下手くそな化粧で、顔面シュールに歌舞伎まくり、「これだけはわらっちゃいけないよ」とか言いつつも、気どった表情や、指先の仕草にこらえきれずにバーストアウト大笑いあったような感じだったことも想起させ、なんかセーシュンだなぁって、思ったりもするすげぇメイキャップだよ。つまりは、純情可憐でも、そこそこリビドーたぎらせて、大股開きで内輪でシュコシュコ扇ぎながら、腐女子ばりのボーイズラブ文庫を読みつつも、久方の逢瀬にこがれまくり、可憐に携帯でつながりあって、「うれしい☆」とかゆっちゃったりしているかんじが、ドハデな顔に下手くそな化粧であらわされているところがすげぇんじゃないかなぁって。
 じゃあ北川はどうかというと、奔放に性を謳歌しつつも、なんか充たされないモノがあって、それを受けとめているところをむっちゃんに見出しているものの、そのむっちゃんもぽとりぽとりと虹玉を生み出す生き物なわけであり、キャラキャラと冗談めかしてみせ、る夜の風景のなかに、そのメイクはキラキラと美しく光るんだな。これで、不倫の描写が只野係長の様だったら大笑いだけど、さすがにパクリだし、やらないみたいね。しかし、今回のハイライトは、最後でしょ。やっちゃう?やっちゃう?いいよいいよ松本伊代でおなじみの、小川奈那が最後の最後に「主人がお世話になってます」とゆってきちゃうの。これが、中島みゆきの「血のような赤い服で」というような半端なモノじゃなく、暗闇のなかに青白く浮かび上がるんだよ。あるいみ、リングのさいごでテレビから貞子がでてくるよりこええよ。ぶっとんだ。北川はそれでも子リスのように暗闇に一時浮かび上がるんだけどね、そこでこれもメタモルフォーゼ!青白く光る。青白く情念をたぎらせる生き物二匹。と、一転カメラは川島なお美に。「はぁ〜」とため行き着きつつ、むっちゃんの科学データを見て、「これってまぢやばくない?」。ポスモダのころって、こういうのに「川島がドラマの虚焦点ぢゃね??」とかゆうと、みんな感心してφ(._.φ(゚-゚;φ(._.φ(゚-゚;φ(._.φ(゚-゚;)φ(..)メモメモだったような気がする。あほらしいよな。w