小鹿注意報!

 月曜日。大学がまだ今週いっぱい一斉休暇である。で、横浜で高校野球観戦。駒大苫小牧早稲田実業。斉藤の絶倫な心身にぶっとんだ。肩大丈夫なのかなと思うのをげらげらするようにびゅんびゅん投げている。結局試合は田中にかえる前にとられた一点が大きく響いた感じですね。うちはNHKの写りが悪いので、テレ朝でみていたのだが、途中応援席のアルプスをうつすと、早実の校長がいた。テレ朝の中継。インタビューに出て興奮状況の校長は、講釈たれたあと、「でわ校長自ら応援を」と言われ。アルプスに 仁王立ち。校長「斉藤ががんばって投げている。がんばろう!アルプスも負けないで」と絶叫。と、その瞬間カキーンと駒苫三谷がホームラン。校長爆ショボーンきたー、と思ったが、テレ朝のカメラはするーしやがった。NHKじゃねぇんだからサービスしろとよほど電話しようかと思ったぜ。
 野球が終わって元町公園のプールへ、歩いていくも夕方近くなのでさほどきつくもなかった。水温が29℃あってどうも水に乗れない感じで、たぽたぽ2000メートル。ジムと同じ一時間かかった。ここで泳ぐと45分〜50分くらいで泳ぐこともあるので、ちょっと時間かかりすぎのかんじもある。帰りに中華街まで歩き、買い食い。今はいろいろあって迷うのだが、元町方面から入ったところにある萬珍楼の支店で肉まんふかしていたので、思わず買った。この店が一個でふかしたのを売っているというのはぶっ飛ぶ。屋外のテーブルで軽く点心している人もいる。420円だが、おいしいですよ。北京飯店手前まで歩いたら、そこの店で「フカヒレアワビマン520円」というのがあった。いかにもという感じだけど、明日でも喰ってみるかなぁなどと思う。
 帰ってネットしていたら、グレート小鹿さんのブログ「小鹿注意報!」が大人気らしいことをやふうで知る。しかし、「力道山の弟子グレート子鹿」っつーのはねぇだろ。ワールドダウンタウンの「ハマタの仲間マツモト」を思い出してしまう。長距離ランナーの親でもあるわけだが、元USヘビー級チャンピオンくらいのこと書いてやれよと思いつつ、さっそく検索してアクセスしてみた。小鹿さんらしい筆致で、ふるさと駒大苫小牧の熱戦について書かれていた。
 さっそく「マスカラス」でブログ内検索をかける。二件ヒット。「ミル・マスカラスと初めて会ったのは、オリンピック・オーデトリアムでテレビ試合である」。もうこれだけでオールドファンは涙もんでしょうね。ロスじゃん、レッドシューズ・ドゥーガンじゃんみたいな。w「その頃は大スターで8割のお客がスパ二シュー系なのでヒールのレスラー達がべビーフエスに変わってトップをとるヒールが居なかったので自分にとおってチャンスだった、毎日、来る日も又来る日もマスカラスとのからみで、ある日、日本人街へ買い物に行ったら、スーパーで日本食を売ってくれない、なぜ?自分の試合が余りにも汚すぎるって、だから店に来ないでくれ、何かが有ったら困るからと言われチャイナタウンへ買い物に行った記憶がある」。これはもう社会学のドキュメント資料ぢゃね?みたいに思ってしまう。「マスカラスの目に辛子すり込むという、いわばマスタードサミングで、USタイトル盗った自慢してヨシ!」などと思い読み進むが自慢話はなかった。この人らしいよね。「四年間もアメリカにいてラスベガスにもハワイにもデイズニーランドも行った事が無い」などと言いつつ、東京プロレス旗揚げの話になっていた。
 別の日のエントリーに、『いよいよ、あの伝説の「ミル・マスカラス戦」ですか!?当時のプロレス雑誌で小鹿社長がチャンピオン・ベルトを片手で、かざしている写真を覚えております』というコメントがついていた。す、すげぇ。わくわくしてくるよな。「モトさんに電話をしたらロスアンゼルスに来ないか?その頃はミル・マスカラスを始めボボ・ブラジル、フレッド・ブラッシ、ジョン・トロス、ロッキ・ジョンソン他色々な選手達が出入りをしていた。自分の頭の中にはノースーカロライナへ行ってお金を稼ぐか?それともロス、で後一年我慢して日本に帰るか?」。他の人はともかく、ブラジルもロスにいたというのは、けっこうびっくり。この辺の話は、『ゴング』誌などを欠かさず購読していたんだけど、読んだことなかった。中西部のレスラーと思っていたから。
 ほかにも日本プロレス分裂の頃の話とか、馬場猪木戦の裏話とか、たしかにすごいよ。横浜拠点の大日本プロレスの何ともトラウマな試合、とりわけふんどしでインリンみたいな開脚でボムるオサーンとか、高山のでろでろした部分を増幅したようなファイトぶりなんかをTVでみたりして、ありゃりゃとおもっていたのだが、仙台でもやってるんだね。インパクトの起こしは気分が乗ったら。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060821-00000009-khk-toh