歌いまくる大石静

 日曜は御輿をかついで、高校野球をみる。決勝戦の引き分け再試合は、第51回大会の松山商―三沢戦以来、37年ぶり2度目。決勝戦の日に御輿というのも37年ぶり。そのあと松坂屋二階の喫茶室でお仕事。一階の広々とした喫茶店は、一人席カウンターをしつらえた、シアトル風みたいな今風のカフェになっちゃった。すげぇはやっている。三階のかをりも混みすぎ。二階は比較的すいていたのでそこにしたのだ。松坂屋は最近けっこうがんばっていて、お客さんも多い。戦前戦中戦後の写真展したり、いろいろやっている。さて、功名が辻

第33回「母の遺言」(8月20日放送分)

秀吉(柄本明)は九州攻めに出陣。留守居役の一豊(上川隆也)はいらつき弟・康豊(玉木宏)と衝突。千代(仲間由紀恵)は法秀尼(佐久間良子)に相談しようとするが、義母は病の床にあり、まもなく逝去。遺言を千代から聞いた一豊・康豊は泣き崩れる。一方秀吉はバテレン追放を厳命、切支丹の玉(長谷川京子)はいよいよ孤立。さらに秀吉は茶々(永作博美)を側室にしようとし寧々(浅野ゆう子)の怒りをかう。
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 兄と弟。信長聡明な弟をぬっころした。実力主義の時代。秀吉の場合。なかよし。一豊と康豊。どうでせう。ッテことで開始。たしか弟のほうが高知を治めてゆくんだったよね。おっかあが氏ぬ回の出だしらしい。留守居でむかついている一豊に、ビシッと意見する康豊「槍を振るいとまがあるならしっかりしろよ」。一豊「光成みたいに金儲けではどうにもならねぇよ。戦場で槍ふるうしかのうがないのよ」。康豊「戦う暇があったら国を豊かに」。槍でやり合う。やっぱ槍は朴念仁のほうがつよいけど、康豊は統治の理屈をビシッと通した。あいかわらずわかりやすく描くもんだよな。怖いのは千代で両契機わかっていて、どう話を治めたもんかと思案してやがんの。で、落としどころは母上ってことで、まあこの辺も社会で苦労されている人が、うんちくかましどころなのかもしれないね。しかし、母、逝ってよし状態。
 秀次の思案にも、康豊「名産つくったら」と進言、才覚を見せる。一本槍い〜んじゃないのじょうたい。逝ってよし状態の母上法秀尼は、雨の中ずぶ濡れでお百度踏んで兄弟仲良しを祈る。そのあと遺書みたいなのをむりして書く。千代母上連呼。「泣くなよ。人はいつか逝くのぢゃから」。ちょっと大げさなところで、「逝く」と来たら、わらいころげるしかねぇぢゃんかよ。わはははは。朴念仁と弟が来たら氏んでやがんの。でもって遺言がある。千代「書こうとしたけど、ダメで、あてくしに伝えられた。一豊、康豊、互いにお互いの異なる性分を尊びなされよ」。うめくようにゆう母の姿を映し、そこで音楽。さらに千代遺言解説。おいおいおいおいおい。それはやり過ぎだぜ。まあしかし、(・∀・)イイ!!と思うのが、人の道なのかもしれませぬ。一豊ちゃん。あっさり反省。「許せ康豊」。康豊「すべてお見通しだったんだねおっかあは」。つーか、千代だろ。まぢやべーのは。男泣きの朴念仁たちの首根っこをつかんで、ケジメとったあとに、一人密かに悲しみを炸裂させる千代。それを見つける一豊「サンクス」。歌舞伎まくる音楽。もうおなかいっぱいすぎるぜ。
 でもって、淀君石田三成のやりとり。そのあとてんぱっちゃった秀吉ちゃん登場。バテレン逝ってよし。困るガラシャ。それにしても、康豊ガラシャ思慕とは思わなかったぜ。一目見て、ほんでもって別の椰子とケコーン。うーんしかし、サービス満点だよね。「ケコーンはこんなもんだ」とうんちくかました人は多いでしょう。さらにそのあと、光成派とねね派対立構図を、女たちの密談で提示。秀吉はたして、テンパって市の幻影を追いかけ、「茶々に渡るぜ。折れは。四年待ったんだ。もう待てねぇよ」。茶々「さるどうしよう?」と光成に相談。光成「逝ってよし」。茶々「よいのぢゃな?」。光成「いいよ。わし今度結婚するし」。茶々「そなたは、それでよいのぢゃな」。光成「ははっ!」。このあと茶々「よいのじゃな」連呼でよいのじゃな祭。茶々「うそをつけ」。光成女郎蜘蛛に魂喰われた逝ってよし状態。才長けたチキンですか。わかんねぇけど、チキンにならないと、まぢやべでしょうしね。wここでまた展開の構図がわかりやすく示されたわけだよね。しかし、秀吉合体。その頃千代はガキをひろう??これなんなの??