録画の野球

 録画の野球を今やっている。実に萎える。観る気もしない。萎え萎えだ。かつては野球ブームで、いろいろ個性的な選手がいた。個性の時代なんかではなかったのに、実に個性的であった。まあドラマ性が今とはちがうだけかもしれない。ちょっと前の大魔神なんていうのも、球場にいると登場してわーーーっというのが楽しみだったわけだけど、何となくゲーム感覚だ。最近亡くなった「八時半の男」宮田征典なんていうのは、どちらかというと日活映画、小林旭風だよね。いろんな選手がいたわけだが、一覧表があったのでクリップしておく。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Knight/8715/imei.htm
 私と同世代でもっともエッジが立っているアーティストの一人だった矢野顕子すらも大の野球ファンで、歌にも歌ったわけだ。もっとも歌ったのじゃ巨人軍の藤原組長@プロレスみたいな柳田選手なわけだけど。「紳士たれ」という巨人軍らしくない選手だったよな。史上最強の五番とか言われていたし。歌い出しは「さあさ、そろそろ始まる時間。コップ片手にラジオの前へ」だったと思う。ラジオなんだな。テレビじゃなく。テレビだったかな。レコードは今は手元にない。どっちでもいいけど、まあともかくみんなそんな風にして野球を楽しんだわけだな。調べたら「新迷怪野球事典 ダラ球会・編纂」に詳細な解説があった。ともかく間奏のシャバダバアドリブのところが、打順で選手をならべていくんだからすごいよな。ふつうの人には絶対に歌えない。w

巨人ファンのミュージシャン矢野顕子が、長嶋巨人V2の1977年にシングル盤で発表した曲(オリジナルシングル番号:日本フォノグラム/FW-2005)。当時「巨人史上最強の5番打者」と言われた柳田真宏の応援歌として作られた。

歌詞には「1番柴田・2番高田・3番張本・4番王・5番柳田・6番土井・7番河埜・8番吉田」と、当時の巨人の打順が織り込まれている。さらに間奏のアドリブでは、ライト、リンドの名前も出て来る。

野球の応援歌といえば、「軍歌調」が主流をしめていた時代に、ジャズテイスト溢れる当作品は極めて斬新だった。特に「♪どど土井どど土井ど土井土井〜」と歌われる箇所は秀逸(笑)。

当作品はオリジナルアルバムには未収録だが、現在はコンピレーションCD「あそこのアッコちゃん」(徳間ジャパンコミュニケーションズ/TKCA-70376)で聴くことが出来る。

また1979年に発表されたライブ盤「東京は夜の7時」(徳間ジャパンコミュニケーションズ/TKCA-70375)にも収録されており、こちらでは「「1番柴田・2番土井・3番張本・4番王・6番河埜・7番シピン・8番吉田・9番小林」と歌われている(5番は何故か飛ばされている。また小林はレコード発売時にはすでに阪神に移籍していた)。<む>
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tadamats/ya.htm

 高校野球が始まっている。あまり観られないが、プロ野球以上に注目している。駒大苫小牧の豪打豪腕もさることながら、かなりキャラのたったチームがそろっていると思う。某県の某町では地元の県立が甲子園に出ることになり、役場の議員さんたちがあまりのうれしさにカンパして選挙法関連でお灸を据えられていた。うれしかったのはわかるよ。国立高校が出ることになったときなんかは、市民が大学通りの交通を勝手に止めちゃって、100メートル道路を国校までパレードしたんだからね。まして小さい町ならそうだろう。そのチームは負けちゃったが、ザ・離島の八重山商工は勝ち残っている。沖縄のチームは案外あっさりしていて沖縄水産でものすごく足の速いのを集め、優勝候補なんて言われたときもサクッと敗退したりしていた。しかし八重山は驚異的な粘り腰だ。ふつうはどこかにスカウトされて島を出たような逸材が二人島に残っただけのことかと思っていたが、妙なアウラがあるわけわかめな監督といい、どうなるか楽しみだ。
 ニュースを見ていて笑ったのは、「NTTの電話番号案内104番に、約3万7000回の無言電話をかけ続けた」という事件。回数が半端じゃない。小学校の頃悪ガキだった椰子は、一度や二度はやったことがあることだろう。小学校低学年のころ通過儀礼みたいにして、やっていたことがあるな。ッテイウカ、当時は電話が普及し始めた頃で、はじめて家電がついて、でもかけるところもなく、羽織袴で電話を待ったなんて話がそこらじゅうにあった頃だ。ガキなんかはよけいかけるところはない。だから、悪ガキが集まると、番号案内や天気予報にかけるのだった。番号案内に書けるがちに勇気のあるやつはいないわけだが、天気予報はぜんぜん平気だからかけて林家三平の「よ〜し〜こさ〜〜ん」なんて歌を歌ったり大騒ぎだった。じゃあ、番号案内やるべということになり、かけてもビビリまくって、「わ〜〜」と叫んできったりした。それを日記に書いて怒られたこともあったよな。「昨日番号案内の人に電話をしました。林家三平の歌を歌ったら笑っていました」などと書いたら、先生は笑うだけ笑って殴りやがんの「おまえみたいなのをバカ正直と言うんだ」。そりゃひでぇよ。まあそんなわけで、37000回もかけたというのは、すごすぎることだ。もちろんよくないことだけど。
 今日電車に乗ったら、週刊誌の見出しは亀田興毅ばっかりやね。私はメチャイケに親子で出て、「親亀の背中に子亀をのせて・・・」をやってほしかったんだがな。カメに。「親亀の背中に子亀を乗せて そのまた背中に孫亀乗せて そのまた背中にひまごを乗せて 親亀こけたら皆こけた」ってやつ。「皆こけた」のところは、「子亀、孫亀、ひ孫亀こけた」というのもあるわけだが、まあともかく誰か芸人が歌って、私らのガキの頃はみんな歌っていた。これが誰だったかがわからず、またググってもでてこない。ううう。