濃姫と本能寺

 女子大通りにクロネコのお店があって、そこにシクロのようなものがとまっていた。近隣はこれで配達するようである。横浜の実家近くでは宅配するところが多いのと、間口が狭いことなどからか、まだ手押しを使っているようだ。クロネコシクロは、なかなか快調に西荻の街を行き来している。

 今日の功名が辻ですが、いよいよ本能寺でございます。「ストーリー中盤の大きな山場となる本能寺の変舘ひろしさんが演じた「エキセントリックな」信長が、どんな最期を遂げるのか注目です」。きょうまでもっこ館ひろしってわけでしょうが、NHKも確信犯であったわけですね。「エキセントリックな」にはハゲすく笑いますた。ストーリー。

 光秀(坂東三津五郎)謀反。信長(舘ひろし)は自ら鉄砲で応戦。傍らに長刀で戦う濃(和久井映見)。だが攻め込んだ光秀の目前で濃は銃撃され絶命。信長も自害し果てる。明智軍が攻めてくる、長浜では寧々(浅野ゆう子)と千代(仲間由紀恵)が退却の采配を振るう。備中高松の秀吉(柄本明)は、変事を毛利へ知らせる使者を一豊(上川隆也)が捕らえ信長の死を知る。全軍帰還を号令、秀吉の中国大返しが始まる。
http://tv.yahoo.co.jp/tv_show/nhk/komyo/ 

 映画「烈火」のラストで内田裕也がやってみたいに、最後はクールス仕様で亡霊が出てきて、ロケンロールとか言い出しやしないかとしんぱいになるのでござった。香川照之の活躍については触れられていないが、それなりの活躍を見せることはまちがいないだろうな。しかしさ、濃姫っつーのは、本能寺で死んだのか?一応ググって見たら、二通りの記述が目を惹いた。

ウィキペディア

その人物像は不明で、織田家に嫁いだ後の消息は早世説・離婚説など諸説に分かれている。・・・慶長17年(1612年)7月9日に78歳で逝去した「安土殿」が彼女だという説や、本能寺の変薙刀を振るい戦死したというものもあるが、時代小説などで用いられている本能寺の変での死亡説の信憑性は低いと考えられる。

安土殿説

 そして10年後、天正10年(1582)6月2日、明智光秀の謀叛により織田信長は京都本能寺で49歳の生涯を閉じます。

 この時濃姫は一説では安土城の留守を預かっていたものの明智秀満に攻められた時に日野へと逃れたとも、また一説では本能寺に信長とともに滞在していたものの、信長の命令により寺を出たともいいます。どちらも明智勢につかまり、その保護下に入る可能性が高いですが、後者の場合その確率はほぼ100%でしょう。むろん光秀は彼女を人質にして秀吉と交渉をするなどといったズルイことはできない性質ですから大丈夫でしょうが、やはり、前者の可能性のほうが高いかも知れません。

 濃姫が亡くなったのはその光秀が倒れ、秀吉の天下が来て、その豊臣も敗れて徳川の世になった慶長17年(1612)7月9日です。本能寺の変の後、濃姫がどこで何をしていたのかはよく分かりませんが、他の戦国の武家の女性同様どこかの寺に身を寄せていたのでしょうか。享年78。
http://www.ffortune.net/social/people/nihon-sen/nouhime.htm

 あとは明日以降。