モラル・サイエンス

 日射しはもはや初夏といったカンジで、キャンパスの緑が実に美しい。訃報が昨晩とびこんできた。母校の国際社会学の梶田孝道先生。心臓疾患でなくなったという知らせが矢澤修次郎退官企画のメーリスにまわってきた。研究分野を開拓された研究者のお一人であることは、言うまでもないだろう。私は一面識もないのでうかがわないが、明日お通夜、明後日ご葬儀ということである。先生とは一面識もないが、先生や矢澤先生のお仕事で母校の社会学が発展したことは言うまでもないだろう。20年前岡山に赴任したてのころに出身校を言うと、「経済学部ですか?それとも商学部?院はどちら?」などと聞かれることは一度ならずだった。母校の社会学は、総合社会科学志向であり、社会学会に背を向けていたと言ってもよいくらいだったと思う。よって、社会学を自称する研究者は本当に少なかった。今はそんなことはない。隔世の感がある。ともかくご冥福をお祈りしたい。
 訃報といえば、ファンファンこと岡田真澄さんもなくなっていた。ファンファンといえば、ラジオの深夜放送とかで、色男ぶりをデフォルメしたシモネタジョークが飛び交っていたことが一番印象に残っているが、紹介記事に川島雄三幕末太陽傳』や井上梅次嵐を呼ぶ男』で好演とあった。正直前者は気づかなかった。ファンファンが演じた人物は記憶しているけど、それがファンファンだとは思わなかったのが笑える。田村高廣の代表作を『兵隊やくざ』と書いた某紙に敬意をもったが、ファンファンはファンファンですげぇなぁと思ったのである。
 岩波新書は、一時なんじゃこりゃっという企画ばかりで、海老坂武の『サルトル』以外は最近あまり印象に残った作品がない。大学入試の準備で南博の『社会心理学入門』『日本人の心理』などを購入して以来、毎月のように買って読んでいたのに、最近は買わない月も多くなっていた。ところが新赤版は、それなりに初心見直す企画のような気迫も感じ、けっこうアンテナにひっかかるものが多く、買うようになった。小谷野敦氏がなんかの本で、よい歴史の新書がなくなったと嘆いていたが、今回はフランス史や地中海といった作品も出版されはじめた。そんななかの一冊として、伊東光晴ケインズ本をみつけた。前の岩波新書は、都留重人とともに環境問題に取り組む経済学者の本として読んだ記憶がある。時代は変わり新古典派が跋扈し、80年代にはいると「ケインズ墓碑銘」(西部邁)的な言説があたりまえとなった。今さらケインズという時代に、モラルサイエンスとしての経済学を問い直すという提起は、清水幾太郎倫理学ノート』の読み直しだとか、いろいろな「読み」のコンテクストを示唆するものである。「80年代論」は、動員史観の問題とも絡み、非常に面白い論の展開を予感させる。社会思想史的な関心から読んでも非常に興味深い本だと思う。

 前の岩波新書のもつ問題点について、明示的言及があるかどうかは一つのポイントだろうが、今のところそういう箇所は見つけられないでいる。母校のケインズ研究の流れにも言及しているのが、いかにもというカンジだけれども、杉本栄一→宮崎義一伊東光晴という流れに対して、中山伊知郎についても積極的に言及されていることに時代の流れを感じる。伊東光晴は、私が大学生時代に大学の寮に講演に来た。伊東の学生時代の思い出から、宮大工の技能、そして経済学の話などをされ、明解な語りに魅了された。あのころはまだ「国立で講演しろと言われても絶対にしない。寮だから来たのだ」などと言っていた。アラスカの油田開発やいろいろな地球環境問題のことを思いながら本を読んだ。
 モラル・サイエンスと言えばもう一冊、天田城介さんから、『ケアって何だろう』を送っていただいた。まだめくった程度だが、非常に刺激的な本だ。現場を踏まえている本は「いかにも実証」というカンジで、一定の読書傾向をもつ人には読むのが辛いこともある。科学的だが、殺伐としていて、味わいもコクもないというカンジ。しかし、この本は、たとえば『生の技法』と同じようにそうした不満をまったく感じさせない本である。ミルズについていま本を書いている。共著者も、私も、『生の技法』を何度も読んだ人間である。社会思想史や社会学史をやりながらも、そうした研究への欲求が抑えがたくある。中途半端と言えば中途半端だが、括る言葉はある。それは、「モラルサイエンス」なのだろうと思っている。しかしまた、こうした力作に触れると、オレたちは何をやっているのかなぁとも思ったりして、筆も萎え萎えになる。共著者もへなちょこなので、たぶん萎え萎えになっているだろう。でも、共著者はひきこもりの調査研究を発表し、また福祉の資格をもち、現場で働いている人でもある。私はますます萎え萎えになる。しかし、へこんでも頑張って書き上げるつもりだ。こういうときほど読書が楽しいときはない。困ったものだ。

ケアってなんだろう (シリーズ ケアをひらく)

ケアってなんだろう (シリーズ ケアをひらく)

<内容>
 「技術としてのやさしさ」を探る7人との対話。「ほんのいっときでも憩える椅子を差し出す」「生きがたさを少しだけ楽にするお手伝い」と言い切れる小澤ケア論の〈強さ〉は、いったいどこから来るのだろうか―

 しかし最近のトラバをみると、新手のスパムのようでもあるが、見てみるとそうでもないので困ったものだ。