出前一丁!

 大学はどうなってゆくのだろうと思うときは多い。勉強のためと思い、さまざまな地域のさまざまな大学で非常勤をやってきたので、いろいろ見聞きしてきたし、なにがあってもさほどショックは感じないのであるけれども、なにがあっても岩のように動かないカンジだったうちの学校もついにいろいろ動き出している。今日社会学研究室に行ったら出前授業のパンフレットがあった。ええええ!と思いよく見たら、京都女子大学のものだった。デリバリーのメニューみたいに各先生の講義名や講義内容などがリストになっている。注文すると出前一丁!と、中学や高校に授業にいくということなのだ。こんど似たようなものをつくるらしい。これまでは、評判が伝わっている先生などに特別指名が来て、出講するというようなかたちになっていた。
 もちろん私のところにはそんなものは来ない。誰か行ってというような場合も、「志望者が減りますから」「それもそうですね」みたいに行かないですんでいた。これからはそうも行かなくなるのかもしれない。まあ、都市部の生徒さんたちは、ゴフマンの言うcivil indifference でもって対応してくれることが多いのだろう。しかし、そうでないとすれ違ったあと追いかけてきて、顔をのぞき込んで笑う椰子までいるわけだ。これは実際体験している。ジャパネット高田な街で。高校とかだとさ、おー騒ぎだろ。ピアスとかつけまくった椰子らとかもいるんだろうし、ひゅーひゅーとか。まあ、ボクは塾で街中の悪い椰子らを相手に授業していたこともあるから、なれてはいるが、「てめーらばっきゃろう」みたいなこと言ったら、お客様が逃げてゆくんじゃないだろうかなどと思う。
 いろいろなことを、教員がしなくてはならない時代になっている。規則も厳しくなっている。めちゃめちゃ金儲けができなくても、自由に生きられるからと院をめざしたころが思い出される。入院する人たちは、どちらかというと挨拶とか苦手で、内向的みたいなカンジが多く、私もそうで、今でも時々挨拶もろくにできないようになる状況もある。しかし、考えてみると、昔から、挨拶ができて、こまめに手紙や電話で連絡ができて、社交的で、いろいろな人と臆せず学問交流ができるような人はできない人に比べて、中堅的なポジションを得やすかったようにも思う。気持は見田宗介クラス、実力はトホホな場合は、恵まれた指導教員とか、縁があるような場合を除いては、苦労することが多かったのではないかなぁ。昔でも。などと思う。
 私も、「就職したら勉強ばかりではなくカラオケも大事だよ」と言葉をくれた指導教員をちょっと軽べつしたのだけれども、そういう面もあるなぁと実感している。そういう教員がいろいろフォローしてくれたから、就職できたンだろうなぁと思う。就職の時にヒゲと長髪と真っ黒のサングラス=グラサンの尊師みたいなので履歴書出しても、獲ってもらえたのは、やはり獲ってくれた側の先生のおかげもあるが、一生懸命恩師がフォローしてくれたからだろうと思う。あともう一つ、私は口は上手くきけないけど、筆まめだったんだよね。こまめに手紙を書く。今でもメイルは即レスだ。そんなことで、交流の輪を広げた。今の職もそれで得た面が大きいと思う。これからはもっとそうなるんだろう。スーツ一着ですませてきたが、そうも行かない時代が来るのだろう。