半兵衛逝く

 ネットサーフしていて、FalcoのJeannyと偶然再会し、論議を呼んでいたパート2のこともわかり、感慨深いものがあった。ロック・ミー・アマデウスオーストリアのスキヤキソングとも言うべきものだろうし、国民的英雄だったが、あまりにぶっ飛びすぎていたためか、アディクション状況のなか自動車事故で逝った。もう何年も前ののことだ。Jeannyの歌詞は鬼やばく、大問題になったわけだけれども、パフォーマンスはエッジたちまくりで、たしかに80年代っぽくあるわけだけれども、英語やドイツ語をまぜこぜにした白人最初のラッパーでかたずけるのにはあまりに惜しい才気がたちまくっている。で、本日の功名が辻もブルースだ。竹中半兵衛死す。六平太の香川照之と筒井は、好対照で実によかったわけだが、ここでおしまい。まあしょうがない。

中国攻めにある一豊(上川隆也)の留守中、千代(仲間由紀恵)は一人娘よねを平穏に生きてほしいと慈しみ育てた。「民に余を畏敬さすれば謀反を起こす者もいなくなろう」と安土築城中の信長(舘ひろし)は傲然と言い放ち、濃(和久井映見)や光秀(坂東三津五郎)の心を寒からしめる。信長への謀反は後を絶たず窮地に陥る秀吉(柄本明)。その陣中、死の床の半兵衛(筒井道隆)は千代を愛していたことを一豊に告げる
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 こう読んでみると、なんかあれですね、明智光秀はあえて逆臣の汚名をかぶり、将来の禍根を断ったというような解釈ですね。信長は、日本を制圧し、さらに外国にとものすごい帝国を築く予感があり、比叡山ホロコーストのようなものがくり返され、とんでもないことになる。他の奴にはそんな力はない。だったらここで・・・というような判断は、たしかにドラマの切り口としてはわかりやすいし、納得もされやすそうだ。信長を討つことで禍根を絶つことができるという甘さをどのように処理するのかなど、興味はつきない。あとは見てから。今日見られるかわからない。まあ明日以降になるかもということで未来日記
 食事の休憩に録画しておいたのをみますた。まず、安土城天守政治学的な意味を、もっこりもこみちならぬもっこ館ひろしが仁王立ちして演技。迷いなく苛烈で純化され拡がってゆく権力。なんだかんだ言ってついてゆく、光秀や秀吉のある意味の諦め。等々。昨今の政治論議に親しんだ人びとがちょっと蘊蓄傾けられるような喰い付きどころが一杯で、さすがというべきなのか。妻子残して一人ばっくれ生き延びる怪人荒木村重ベンガルが気合いで演じている。どうしてもなごり雪のラストシーンがトラウマながら、とんでもねぇおっさんぶりを表現。なぜか光秀とはそれなりに気心が知れているカンジ。まあ、よくわかんないけど、けっこう今後はへそみたいなそんざいになるんでしょうか。
 他方、濃・市・信長、信長・光秀・濃、一豊・千代・半兵衛、一豊・千代・六平太というような、脚本家得意の三角形が駆使され、華麗にドラマ空間を整理する。でもって、半兵衛絶命。千代の手紙を一豊が読む→一豊に千代のことをコクる→遠くにいる千代に絶命の声が聞こえる→絶命を悟ってなく千代。ふつーありえねぇような強引、かつ大仰な展開ながら、筒井道隆に証明効果ギンギンで、んでもって香川照之が側面援助みたいにして青白い炎歌舞伎まくり、十分堪能したのですた。