年賀状を読む

 東京に年賀状の確認に一度戻った。電車のなかでは、十分注意してリュックをひざの上に置いた。これで笑われることもない。まだ4日なので返送されてきたものは少ないがそれでも相当数ある。なかには2通だしたうちの一通もある。私は誰に出したかのリストはつくっていない。しかし、誰にだしたかはほぼ覚えている。まあ数がそれほどでもないから覚えられるとも言える。でもはっきり言いたいのは添え書きをしてないものも、きちんと思いを込めて住所のタックシールを貼っていて、覚えているということである。
 年賀状を一通一通読んだ。毎年出しているから、無理して書いてくださっているなぁと思う人もいる。やめようかとも思うと、そういうときに限ってそういう方のが元日に来ていたりする。不在でも、郵便局のといっしょにあるからわかるわけです。添え書きがたくさんしてあると1行でも嬉しいとか言うが、ないものも私はとてもうれしく思う。また、いろいろ言う人もいるが、私は写真年賀状とかもすげぇ好きだ。どんなふうにかわったかとか、一目でわかる。「元気です」とか書かなくても一目でわかるのもある。ガキの顔に教え子の面影をみると、団欒やなにかの風景が想像されたりする。
 読みながら思ったのは、今度は近況をかえて書こうかということである。どうしても自分がどんな仕事をしたとかそういうことに限定されがちなのである。そんなことに興味もない人もいるだろう。月別に書くとか、そういうことだ。あるいはネットのプロフみたいに、年齢、病歴、読んだ本、書いたものなどを列挙してゆくやり方。しかし、あんまりやりすぎると、写真年賀状のような言われようをするだろうなぁと思う。