笑い飯@M1考

 M1グランプリが終わったけれども笑い飯に笑えない自分が釈然とせず、何度もビデオを見た。私の手がかりとしてあるのは、ゼミ生の言った「笑い飯は(あのやっちゃんの若い衆のような強暴っぽい)ヴィジュアルだからこそを面白いのです」ということばと、もう一つは笑い飯が創造した画期的なボケツッコミの構造という定評である。まあともかくお笑いについては、たいした知識もなく、笑ってきただけという私の言うことだから、なんともにんともだけど、それなりにわかってきたことはある。
 まずおぼろげに浮かんできたのは、『じゃりん子チエ』のカルメ焼きである。元キックボクサーの短髪と弟分のリーゼント。凶暴にキック飛ばしたりするけど、チエちゃんとか、花井センセなどが出てくると、スンマソンみたいな雰囲気になる。あんなもんかなぁということ。あのマンガには、大阪的なものがたくさんつまっていた。お好み焼きのぢぢいもそうだよね。地獄組の親分も非常に面白く、賭博やっていて「ポリ公がきたらはいビスコ!」とチップがわりのビスコみせて、どあほと逮捕されまくったり、おばあはんを「クソババ」とゆった子分に「わしら実業家やから下品なことゆったらあかん、うんこばばあとゆわんかい」とゆったり。笑い飯の二人はあのマンガの中に似顔絵のまんまで出てきてもまったくおかしくないよなぁ。
 などと思いつつ、そういう二人のぼけた姿が、地域性を超えて作品化されているようにも思った。観点を変えて、ぼけツッコミとか、やりとり応酬の間合い、呼吸、ネタ運び、「ないな〜」のシュールなまでの疾走などをみていると、ジツに前衛的で新しい。ファンは、もっとずっと複雑なところを理屈じゃなく身体化して楽しんでいるようにも思われた。むかしクラシックのファンの奴に、メロディだとか、パッションじゃなく、音の響きあいだとかそういうことに気を配り、スコアを思い出しながら聴くと楽しめますよと助言され、しゃっちょこばって聴いていたら、さらに頭で考えてちゃ楽しくないでしょみたいにゆわれたのを思い出した。だいたいスコアなんてそんなにわかんねぇぢゃん。しかし、言いたいことはわかったし、それ以上クラシックを聴く楽しみは深まることはなかったけど、同じことは笑いについても言えるんだろうね。明石城のネタなんかは、それなりの知識がないとわからない。でも通ぶるのは品性に欠ける。
 しかし、それを楽しめるすごい人たちもいる。しゃっちょこばって、わからないながら、ついてゆく僕みたいな。楽しんでいる人たちにとればごく普通のことなんだろう。そんな力入れて考えないで楽しんでみたいに。となると、今のお笑いブームというのは、かつてないところまで行く要素を秘めているようにも思われたりするのである。
 ブラックマヨネーズはもっと得体の知れないものがある。ちょっと思ったのは、昨年シンスケがいたら、南海キャンディーズは決勝までいけたかということだ。「オーソドックス回帰」はこだまひびきの活躍と呼応した今年の「流行色」だったのか、それとももっと普遍的なものがあるのかは、ちょっと興味がある。資源枯渇しないためには、そういうお代拝借があってもいいのではないかと思うのである。