国立の駅舎

 まいみくの日記で見たのだが、国立駅の駅舎が取り壊される、というかもっと正確に言うと保存のための予算が付かないことが議決されたみたいだ。中央線高架化に伴い、駅も変えて、南北をズッドンと通れるようにするということみたいだ。国立駅と言えば、あの△のやつに国立駅とか書いてあるやつだ。自分が大学に入ったばかりのころは、中央線が国立も街に入ってくると、車窓から大学の時計台が見えた。私が大学院を出て、岡山に行くころには、そこそこビルが建っていた。しかし、大学通りにバーミアンなどはなかった。 私は住民ではないし、実を言うとあまり国立の街にはさしたる思い出はない。すんだ年数を言えば、横浜18年、小平2年、国立8年、岡山11年、吉祥寺10年である。このうち愛着が強い街は岡山と横浜だ。その次は小平かも知れない。一橋寮から、玉川上水、そして津田塾、鷹の台と歩くと、新鮮な気持ちになる。国立はそういう場所の少ないところだ。例えばロージナなど懐かしい店はある。よくそこで勉強会などをした。白十字にはゼミのあとよく行った。アルバイトのお金が入ると、ちょっとぜいたくにヴィラでランチを食った。夜中までうだうだしていて、三時過ぎにスタミナ丼寒いなか歩いて喰いに行ったのも懐かしい。今はないみよしやの煮込みの風味は鮮やかに思い出すことができる。国立市民の誇りのようなものも、理屈ではわかっている。
 しかし、それでも私は駅に降り立ったときに見た「文教地区」という看板に一種の憎しみのようなものを感じていなかったと言えばウソになる。留年が決まったときに、相当国立の街をほっつき歩いていたはずなのだが、気がつくと国分寺の街にいた。国分寺の街の猥雑さになにか癒しのようなものを感じていたからだと思う。当時はまだ立川は行ったことがなかった。院生時代は、先輩たちとよく飲み歩いたのは立川の街だった。
 大学院から岡山大学に赴任する日は桜が満開だった。国立駅から、桜並木を谷保まで辿り、そこから横浜経由で岡山に旅立った。駅前であらためて国立の駅を眺めるということもなかった。それでも、ドラマやまんがで国立駅が出てくると、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!! というカンジにならないといえば、ウソになる。すっかりかわってしまった国分寺の駅周辺みたいになるのかなぁなどとも思う。国立駅の駅舎は、一つのシンボル的なものである。壊されると聞いて、さほどいたたまれない気分にはならない。それは愛着のなさなのだろうか。それとも、とっくになにかが失われてしまったからなのだろうか。