続・卒論のテンプレート

 みくしには書きましたが、テンプレということばは、レポート剽窃論議において鈴木謙介さんがつかってらっしゃったのが典拠です。つまりコピペ云々より、どんなテンプレで書いているかが問題って話で、虚をつかれた感じだった。マルクス主義では、昔からレキシコン*1があるわけだし、CD版なんかもでていたわけで、刻苦勉励よりテンプレにじかんかけろっツーことだろうし、剽窃しないようにとシコシコ表現を変えて書き、それでも不安で「どの程度からパクリになるんですか」「これは」「これは」「これは」と強迫観念から質問メール連射してくる椰子らよりは、編集の創意工夫で脳内麻薬炸裂している方が、ずっとクリエイティブだなぁと思った。私は減点法だとか、規準足切り法だとかは好きではなく、加点法がすきなので、大変共感した覚えがある。つまり、パクリは作品性において成立するという場所が、少なくとも教育段階ではあってもよいと考えを改めた。それはともかく、昨日のエントリーについて実例出せという注文があったので出します。今日みたやつから。
 タイトルは「居場所の社会学」。「居場所」を社会学的に考える。なにを?3年の時香山リカの本で、アルバイトが居場所になっていると読んだ。生活の中心が、学校でも、サークルでもなくアルバイトだということ。そして、アルバイトの調査をした。それで書こう。そういう発想。

はじめに
 この論文は「アルバイト」を(居場所)という観点から論じる
第一章 争点と概念と仮説
 (居場所)という観点からみるとなにが見えるか
 =仮説 アルバイトが居場所なんぢゃねぇの?
第二章 歴史
 主題の事項の歴史 → 若者像の歴史 アルバイトの歴史
第三章 調査結果
 一応やってみた。いくつバイト?なんでバイト?
第四章 結果の分析
 アルバイトは、居場所・・・・なんかなぁ???
おわりに 結論 
 なにが言えたか。なにが言えなかったか。 → 爆ショボーン

 これが夏休みくらいの状態。「居場所」って日常用語じゃんか。なにか社会学的に考えられないの?本ないッスか?あるよ。藤竹暁編。現代人の居場所論。じつは、ワシも書いてます。エエェェェ。わははは。で、読んだりして、ぐだぐだ冬の陣へ突入してゆく。一応「居場所」の社会学的定義というのは、ひろってきた。で、社会的居場所、人間的居場所というのを批判し出す。意味内容はわかるけど、社会と人間という用語がちょっと・・・。で、前者を手段的、後者をコンサマトリーに対応させて定義できないかと考える。おしりも、若者のコンサマトリー化が問題になり始めている。「日々楽しければいい」みたいな。原義はちょっとちげくねぇ?

概念:インストゥルメンタルな居場所とコンサマトリーな居場所
歴史:若者  〜インストゥルメンタル→コンサマトリー
バイト 〜インストゥルメンタル→コンサマトリー
調査の解釈:コンサマトリー

 確認した問題点。居場所の社会学的既定ということを中心に思考をすすめたので、先行研究のレビューが「コンサマトリー化」という現状認識があるということにとどまっている。調査の結果がどうなるかわからない。そこの描き方で、居場所の問題をコンサマトリー化にすり替えているということにもなる可能性がある。パーソンの手段的活動主義をめぐる理論の吟味がない。それを踏まえて、コンサマトリー概念のレビューをすることもしていない。などなど。それを確認して作業を進める。で、副題候補のコンサマトリーで串を通したし、またきれいにまとめたし、書き上げれば卒論としてはまあまあというカンジになるのではということで、現在も書き進めている。もっともっと限定した主題で書いてもらうべきだったか迷うところ。

*1:主題別に原典を再編集したあんちょこ。かなり昔からある。しかも、たしか久留間さめぞーだったか、すげーえれーひとがつくっていた。