たりらリラ〜ン♪

 くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ンを見ようと思っていたのだが、帰宅が遅れて、最後の方しか見られなかった。テレビブログなどで、補いつつ見る。最後にポカスカジャンが歌っている「たりらリラ〜ン♪たりらリラ〜ン♪」というノリのイイ曲はなかなか調子イイきょくなんだが、なかググっても出てこなかった。がようやく関東版テレビブログで発見。「渚で恋の勝手にたりらリラーン」っていうんだね。曲名。ゲストはインパルス。そして、アゴ美じゃないよデコ美だよのソニンソニンはますます「おでこフォー」になっている。こうなったら、ユンソナレイザーラモンHGとユニットつくっておでこフォー」やればいいのにさ。w へいあ〜んダンサーズ仕様のおでこフォーなユニット。つーか、ユウキは最凶最悪のヒールになれると思うけどな。
 で、企画ですが、毎度おなじみベタ劇場。今日はラブロマンス編のようだ。私がまともに見られたのは、教会での挙式のシーン。結婚宣誓をするまさにそのときに・・・というのが問題。この手のもので、永遠のべたなシチュエーションと言えるのは、やっぱし『卒業』にとどめをさすのではないか。教会の二階から「エレ〜ン」と絶叫するダスティン・ホフマン。罵倒するミセスロビンソン他の親族。しかし、エレーンはぶっちばっくれ。バスのラストシーンは実に(・∀・)イイ!!。まさに世代の青春映画だわなぁ。「卒業」されちゃった椰子は何人か知っているが、当日されちゃったのはひとりだけだ。あとは一週間とか前。でも、「卒業」した奴はひとりも知らない。結婚式のスピーチで涙ながらに「新婦が好きだった」と告白し、喝采と、勝算、「頑張れ若僧」とかゆわれ、最後は新郎と熱い握手でチャンチャンという、あまりにもサイテーな状況も見たことあるが、いくらなんでもあれはネタだったのかも知れない。親や親族もニコニコしていたし。っつーか、こういう状況で絵になる人間になりたくはないよなぁ。
 つーことで、このプロトタイプに準拠して一同は予想。あんちゃん「お前が好きだ!」。新婦「おまえゆうな、アフォ」というのは、かなりワロス。で、しぇーかいだが、毎度おなじみミスターベタの加勢大周「自分にウソつくのやめた。好きだ!」。新郎「なんだお前は」。新婦「きこえないわ☆」。加勢「好きだ!好きだ!」と絶叫。って、これはあれじゃんか、粋なサボテン君ががんばれな若僧のあんちゃんに針を撃ち込んで「あ、いてー。あ、いてー。あいてー」で、ねえちゃん「私も☆」みてーなもんだろ。有田笑いころげて、「はらいてー」。まあそんなこんなで、でもってどべが、ソニンと板倉で、箱のなかのものを触る。本日は、タコ。板倉「臓器か?」。わはははは。
 しかし、ベタというのは、非常に興味深い現象である。『限界の思考』では、ひねりもなにもない狂信的状況にむかうような安直みたいなかんじだったけど、この場合はつっこみ誘発型なんだろうね。ゼミので「一億総ツッコミ時代」みたいなところに、卒論のオチをつけようとしているのがいるわけだが、それはたぶんピン芸人隆盛などと結びつけようとしているのだろうと想像するわけだけど、−−違うかも知れないけど−−それだけじゃ現象論で、その先を読んでベタをネタにしたこの番組の意図などを、それなりに理屈づけして、美味い切り口に落とし込めればよいのだが。といっても、評論文ではないので、そこに落とすこと自体にさほどの意味があるわけではなく、論文の価値は丁寧な本論の整理なのではないかと思うのであるが。