【あゆぢゃ】M降臨【ねぇよ】

 2ちゃんにネタレスしか書いたことがない、つまりはマジレスを書いたことがないと自負しているアテクシといたしましては、ガカーイの楽しみはなんといっても、ガチンコトークバウトなのである。たとえば某大学に一時跋扈していた物まね上手たちが、司会も報告もフロアもなにもかも、一番物まねのしやすい某先生の真似をしながら部会をしたらさぞかし面白いだろうとは思うことは思うけど、そこまでできる前提はやはりかなり水準の高い報告がそろっていると言うことであろう。そういう条件を満たし、かつガチであったということで昨年のベストバウトとして、ネット各所で語られていたのが、M降臨部会であった。報告者のゼミ生と、M師の歌舞伎まくりは、圧倒的な存在感であったと聞いている。多忙なM氏のこと、昨年の熊本はゼミ生たちと旅行がてらということもあるが、本年は東京の法政大学であるからして、まさか降臨はあるまいというのが大方の予想であった。もちろん、わずかな期待はあった。しかし、昨日の関係部会に降臨されず、これで「終わったな」と一日目終了後語り合った。日曜の朝早くから、多忙な師が来られるとは考えられなかったからだ。しかしである。
 朝会場に着き、はじまる前にトイレに逝こうとすると、いきなり、キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゜Д゜)゜∀゜)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)-_)゜∋゜)´Д`)゜ー゜)━━━!!!! 。まじやべー、もろM降臨。「あざーっす!」とかゆっている。私は小用をたしながら、震える手で携帯をとりだし、みくしと2ちゃんに「Mキター」と書こうとした。しかし、電波が悪い。電波のいいところを探したが見つからない。仕方なく断念し、フロアにいたMゼミの人に「キターと書こうと思ったが断念しますた」と言った。鬼近くに本人がいたが、聞こえよがしに言った。わはははは。聞こえたって、かまいやしねーよ。で、席についてフロアをみると、右前にM。左前にはもう一人のM。消費社会論の第一人者の間々田孝夫先生がいらっしゃる。報告は、マンガ、オタク、消費の欲望、メディア消費、消費社会と人間関係などで、この主題については最強のコメンテーター二人がコメントをつける部会となっている。この他桜井芳生氏他の論客が顔をそろえている。しかも、2日目の午前中なのにフロアは最初から人であふれている。2日目の午前中の部会で、フロアにほとんど人のいない部会で報告し、質問もなく、泣きそうな気持ちで帰ったことを思い出した。報告者は、どんなにキツイコメントがついても、本望なのではないかと思った。もちろんネタレスバウトに期待した気持ちはますます旺盛なのだが、学問的に殊勝で透明な気持ちになっていた。
 第一報告と第二報告は日本と韓国のマンガシステムの比較、世代差による比較、人的資源動員システムの比較を行ったMゼミの人々の報告。第一報告がファクトファンディングスについて詳細に報告し、第二報告が戦後史への歴史的視点とルーマンの教育システム論を用いて論理的な整理を行う連携になっていた。第三報告は、野村総合研究所の調査で注目されたコンテンツ創造におけるオタクの意義について、一つのゲームを事例としながら詳細に分析したもの。「道具箱」として文化をみる視点を中心に据え、調査結果として提示されている背後にあるものを論理的にあきらかにしようとしている。マンガの意味論的文脈検討省略他について指摘があった。第四報告は、ジンメルの『貨幣論』から「欲望の距離」という視点を抽出し、通販広告について分析が行われた。「距離」の論理的内実、その変遷などについて疑義、批判が提示された。批判は明解であった。登壇者による反論の意味あいを司会者がポジティブに理解し、膨らませ、整理すればより議論が生産的なものになったのではないかと思う。第五報告は、立教大学間々田研究室で行われた韓国のイメージとメディア消費についての数量的な調査の報告。調査内容に即しながら、今後の研究のための具体的なアイディア提示などが行われ、部会後の評判も高い報告だった。第六報告は、土井義隆本における現代青少年の人間関係をめぐる論点とボードリアールの消費社会論の論点が対応する構造をもっていることを指摘したもの。手慣れた明解な構成の報告であった。ボードリアール的な議論に対する批判的決着と対照しながら、資本主義の価値論にまで論じいたるような問題提起が行われた。
 全体として消費社会の論理、倫理、美学が、作り手、受けての双方から点描されたかたちになっていたと思う。研究対象への愛を語りちらす報告の散乱は一時小休止し、ルーマンジンメル、ボードリアールなどをめぐり理論的な再検討・反省的な捉え返しが行われるとともに、他方で数量的な方法、歴史的な方法など方法的な模索が行われていたことが印象的だった。これは、今年の一般報告全体の特徴でもあるのかなぁとも思う。鬼のようにたくさんあったこともある文化と社会意識の部会は二つになり、一時風前の灯火かと思われた理論や学史学説の部会が増えたことは印象的だった。と同時に各論的な部会は論理的な意味あいをもった分科を形成している。文化の部会も同じようなことが言えるのかも知れない。アバウトに見えた研究領域も、その良さを踏襲しつつ、ゆるい意味での体系化を目指した蓄積のチェックなどが必要な時期が来ているかもしれない。間々田孝夫、宮台真司という二人のMをはじめ、鋭い質問が続々出され、報告者もフロアもいろいろなお土産をもって帰れたのではないか。
 かなり時間をオーバーしたわけだが、それでも論をすりあわせ、整理するには議論が足りなかった。司会者が「おっ!」というような、論理的な切り口を提示すればよかったのであろうが、そこには思い至らなかったようだ。司会者は、タイムキープにヲタヲタし、ベルを鳴らし忘れたりしていた。最初のうちは自己嫌悪でボーっとしていたようだが、最後は開き直り「30分ものばしたのは確信犯ですた。文句があったら2ちゃんに書いて下さい」などとゆっていた。司会者の責任もあろうが、6人部会を3時間でやるなら、部会の編成意図を明示し、報告者同士も報告原稿他で他の報告内容を確認し、事前討議をするだとか、いろいろしないと無理かなぁとは思った。報告が終わって尿意が臨界に達していた司会者がトイレにすっ飛んでいった。部会中桜井芳生氏が、司会者の不機嫌に「時間がなくてスンマソン。不機嫌そうだけど質問したいんすけど」などと気をつかっていらっしゃった。「不機嫌」の正体が尿意だとは、フロアの誰一人知るよしもないと思うと、笑えるものがありますた。
(追記):アクセスが鬼増えていて、なんじゃあああと思ってろぐ見たら、id:seijotcp さんちからトラバ飛んできてますた。ようこそ!まあはてなにおいては、この程度が限界であり、大将が「おまえ、ふざけんじゃねえよ、何言ってんのか、ぜんぜんわかんねえよ」とヤキを入れ、報告者が「あんたにそこまで言われる覚えはねぇよ、ごるぁあああ」と言い返したなどというネタ厨鬼萌えなやりとりの詳細は別のところにしたためてございます。心当たりのお方は、ごらんくださいまし。w