「間」の文化再考−−ひとつの序説的ノート(承前)

 昨日の続きである。ますます議論は乱れているように思うが、まあ貼り出したから貼ります。最後の節はロムバッハなどを持ち出して駄法螺を吹くよりは、中井正一の機能主義美学論でしめるほうがいいことはもちろんだが、研究が進まずこのようなかたちになった。


「間」の文化再考−−ひとつの序説的ノート(承前)

3.「間」の同定

 中井正一氏の議論は、南博氏が「不足主義」と言った内実、とりわけそのダイナミズムを、具体的に解明したと言える。そして、合理的訓練、リズム、時間の流れなどとのかかわりで、日本文化としての「間」について解明した。「現実」、「論理性」、「深さ」などの言葉については、さらなる吟味が必要ではあるが、その点は本稿では保留しつつ、「間」についての諸説をさらに検討してゆきたい。次にとりあげるのは、武智鉄二氏の歌舞伎論である。議論は、多岐に渡る。ここでは武智氏の議論から、1)「間」と魔、2)西欧文化と日本文化のぶつかり合い、3)魔とキメという三つの論点をとりあげ、検討する。一言で言えば、「間」の文化の一契機として日本文化を考える考え方を、武智氏の見解に読解したい。文化のぶつかりあいのなかに、「間」を読解する武智氏独特の知見には、賛否はあろう。しかし、「間の同定」を考える上で重要な論点が提起されており、本稿の文脈において検討は不可避である。

3−1.「間」と魔−−ふたつの「間」

 まず、「間」と魔について。武智氏は、その歌舞伎論(武智[1979])のなかで、生涯出会ったもっとも凄まじい「間」として、一中節の都一梅が「心中天網島」の大長寺の段を聴いた時のことをあげている。「若紫の、色も香も、無常の風にちりめんの、あの世この世の二重まわり」という聞かせどころの部分で、「無常の風に」と歌い終わったところで都一梅は歌うのを止めてしまったという。と、その瞬間、一梅は「ちりィめんのぉ〜」と歌い継いだ。「空虚」、「空間の間」、「大きな、真っ黒な、暗黒星雲のような間」をそこに感じた。そう武智氏はいう。「それは地獄を吹く風が、吹き下ろす空間」だったと回想する。武智氏はこの「間」を、九代目団十郎の次のような言葉と比較する。そして、「間は魔に通ず」と話を括っている。

 踊りの間というものに二種ある。教えられる間と、教えられない間だ。とりわけ大切なのは教えられない間だけれど、これは天性持って生まれてくるものだ。教えて出来る間は『間(あいだ)』という字を書く。教えても出来ない間は「魔」の字を書く。私は 教えて出来る方の間を教えるから、それから先の教えようのない魔の方は、自分の力で探り当てることが肝腎だ(九代目団十郎の言、武智[1979:142]より)。

 中井氏とは対照的な言い回しではある。しかし、中井氏の言う「時間の区切り、切断」に一脈通ずる議論がおこなわれ、「魔」という説明=「おさまり」がつけられていると言えよう。そしてまた、ここでも同様に、分別の要諦に「間」の訓練がおかれている。問題は、この「おさまりのつきかた」である。

3−2.日本文化と西欧文化のぶつかりあい

 「間」の訓練という問題は、武智氏においては、日本文化と西欧文化のぶつかり合い、「間」の同定、「間」の動態などと関連づけられる。武智氏は、六代目菊五郎の「保名」の踊りからこれを説明している。踊りのなかで菊五郎の乱れた髪がハラリと額ぎわに落ちかかる。そこにも何とも言えない風情がある。しかしその「間」はまねもできないし、説明もできない。つまりは、−−社会学的な言い方をあえてすれば−−同定(identify)できない。そして、狙って凄い「間」は起こせない。武智氏は、「凄い間」を体操競技ウルトラCに喩えている、成功すれば拍手喝采だが、失敗すればマットに身体を叩きつけられるようなみじめなものなのだ。それでも、成功時の感動が忘れられなくて、危険を承知でまた挑戦してみたくなる、というのが「間」の魔力なのだろう。武智氏は、そう説明する。
 そして、武氏智は、間拍子という日本音楽における西欧風のリズムの話にうつる。1757(宝暦7年)に刊行された『浄瑠璃秘曲抄』では、次のように言われているという。

間拍子という事、間(ま)は人の歩く如し。右の足壱尺運べば、左の足壱尺、少しも長短なし。(中略)拍子は足につれ手を振る如く、右の足進む時は左の手進み、左の足進む時は右の手進む。これ陰陽の道理なり(武智[1979:145]より引用)。

 これは明らかに近代音楽的な「間」ということになる。これは、九代目団十郎が言っている「教えられる間」であると、武智氏は言う。そして、武智氏は、魔の議論を展開する。間拍子の議論にとどまらず、議論を一歩進めたというのが、武智氏の主張である。魔の成立は、武智氏の議論によると「外来楽器」である三味線が日本音楽に導入されて、西洋音楽的な要素がそのなかに取り入れられて以降にできたということになる。
 浄瑠璃と比較して議論は展開される。三味線は西洋音楽的な「間」(間拍子)を持つ音楽である。これと、日本古来の「語り」の伝統をもつ浄瑠璃太夫の音楽とは本来相容れぬものであったはずでえある。ところが浄瑠璃のなかでは、この両者がある時は歩み寄り、ある時は意識的に反発しながら、「音曲」を作っていく。太夫と三味線のせめぎあいに、なんとも言えない「間」が生じる。そう武智氏は言う。武智氏は、原武太夫『断絃餘論』などを読解しながら議論を進めている。ただし、そこでは潜在している、「間」という「おさまり」、括りを武智氏は明示している。
 音階の面から見ると、「太夫の側は三味線のツボにはまらないよう」に「ウキ(倍音)の音を意識的にはずす」という手法によって現れ、また三味線の側から言うと、「ニジリや音遣いという技術で太夫の語りの息にどう付いていくか」という形で現れるものである。同じようなことが間拍子(リズム)についても言える。三味線の作る間に乗ることを「糸に乗る」と言うが、浄瑠璃太夫は安易に「糸に乗る」ことはしない。逆に、三味線の側から見ると、時に太夫を引っ張り・時には離れようとする太夫に擦り寄っていく必要がある。武智氏は、武太夫のことばをこう解釈している(武智[1979:144-147]より)。
 日本古来の音楽のなかで、西欧的なものと、そうでないものが「間」を主張しようとすることで、「裂け目」のように突如として「魔」=「間」が生じる。「間拍子」へとおさまりをつけることと、そこから逸脱すること。意図的な破綻と、そして他方でフォルムの形成の大事さ。二つのバランスの裂け目に、「間」は生まれる。しかしまた、「裂け目」というおさまりも拒否されるとすれば、そこにはあやうい不安定な均衡が残るはずだ。

3−3.「間」とキメ

 次に「間/魔」の同定、「おさまり」について注釈的な論点となっているのが、キメについての議論である。「凄い間」と「みっともない間」というのは紙一重。で、人の「キメ」のセリフをまねすることほど、見苦しいこともない。日本舞踊でも、三味線のチントンシャンで「きまる」、間にストンとオトすのは「いやなこと」なのだそうだ。歌舞伎のキメについても、武智流に言えば、「意図的にいやなことをした」ということになるらしい。定間にはまることを「いやなこと」と感じる感性が、「日本人の生来の感性」として身体のなかに深く刻みつけられており、それが反音楽的理念としての「間」の概念を生んでいく。こう考えれば、世阿弥の時代に「間」の概念が存在しなかった理由もあきらかであろう。そう武智氏は考える。
 能がキマるというのは、たしかに噴飯ものだろう。そういうものは無縁の時代があり、それが文化のぶつかりあいであるとかの文化の変容により、「キメ」をいうことが、「おさまり」のかたち、同定の論理として問題になるに至ったことには、このあとの節の議論(「間の変容」論)ともかかわり、十分注意しておきたい。
 さっさとすませるか、あるいは「いやなこと」とわかって「あえてする」か。そういう洗練は、観客との呼吸において生まれるものらしい。ここには、観客との相互作用も説かれていて、非常に興味深い。武智氏は、「間」を「芸の倫理規定」として位置づけ、論をしめくくっている。そして結局「日本人だけが見つけだしたもの」という風に位置づけている。

 間は、エキゾティックなもの、異風なもの、淫声的なものへの、民族文化伝統に立つ反省として、成立した。リズムに乗ったり、きまったりすることのエキゾティズム(単なる異風文化というだけでなく、非現実的という意味でも異風な)への反省、または反撥として、間の理念は、日本の芸のための、守らなければならない最高倫理規定、ノルムとなったのである。
 それはリズムを正常な生活感覚に戻し、写実性にひきもどす規範であった。
 だから、間は、精神からの使者であり、反面、観客の精神を、悦楽から現実へひきもどすための使者でもあった。
 それ(間)は、様式性の壁をつきやぶる真実の通し矢−−真実を白日下にさらすがゆえに魔でもあった。
 時間(拍子)を、演劇的な第四次元空間と考えるならば、間は、さらにその先の、生理が精神の断面に喰い込む“瞬間”であり、日本人だけが見つけだした“第五次元”の 世界なのであった(武智[1979:152]。

 武智氏は、こうした「間」の「日本的な特殊性」については、①名人芸的な側面、②宗教的伝統と結びついた無常観、時間観のふたつが指摘できる。とりわけ、武智氏の言う「異風なもの、淫声的なものへの、民族文化伝統に立つ反省」というものが、様々な文化のぶつかり合いのなかで、倫理的な契機としてはたらいていることに注意したい。これは「間の変容」を議論するポイントともなり、また文化的伝統としての「間」=②の側面を強固に主張する議論でもある。本稿の問題意識は、①芸と②洗練を、より普遍的なコンテクストで問題にできないかというものであったことも確認しておきたい。

4.「間の変容」をめぐって

4−1.「間の変容」

 後者が、世俗化して、生活の間、武道の間、スポーツの間などが生まれたことは、南博氏も指摘していた。次の問題は、この「間の変容」である。南氏は、生活の間や程は次第に消えてゆき、合理主義的な思考に基づいた「充足主義」によって「不足主義」は押しのけられてしまうのが生活合理化の運命だと言っている。それとともに、次のように南氏は言っている。

 根底で宗教間と結びついたスポーツ間や芸術間の微妙なはたらきは、・・・その非日常性が日常的な生活間を突破するこころみとして、今後一層洗練されるのではないだろうか(南[1983:20])。

 南博氏が、若者における「間」の洗練という論点を議論の遡上にのせない理由は、ひとつに、「不足主義と充足主義」の問題であり、もうひとつに、宗教的な時間観、世界観の問題、すなわち「間」の遠因を、「非日常性」に求めることであると思われる。この二点に反論することで、「若者における間」は検討可能となる。まず前者の問題から考えよう。

4−2.西欧における「充足主義」と「不足主義」

 ここで、西欧文化の現状が合理的な「充足主義」であるという見地にも、一定の疑問を提出しておく必要があるだろう。文化社会学の流れのなかで見るならば、「充足主義」の優位というものは近代化論のなかで提示された図式なのであり、今日においては別様の見地がむしろ優位になりつつあるとすら言えると思われる。新しい文化社会学とは、『文化社会学への招待』の諸論考(亀山他[1992])、『分析・現代社会―制度・身体・物語』の諸論考(太田[1997])、さらには北田暁大氏(北田[2004])、園田浩之氏(園田[2001])らの議論である。共通する出発点には、ジンメルの議論(ジンメル[1999])があると思われる。ジンメルの文化論は、両義性の理論である。19世紀的なコンテクストのなかで、ジンメルは一方で、公衆や、健康や、衛生、あるいは男性性といった、括弧つきの「正常なもの」を問題にした。他方で、群衆や、病いや、退廃や、性的なもの、あるいは女性性といった、精神や社会の括弧つきの「異常なもの」を問題にした(太田[1997])。ジンメルはさらに様々な形式の両義性を考察している。そして、両義的なものの不安定であやうい均衡を描いた。こうしたジンメルの視座は、20世紀におけるケネス・バークの両義性論や、バフチン的なポリフォニー、さらにはフーコールーマン構築主義の議論と共鳴する。
 こうした議論の出発点でもあるジンメルが論じた文化表象論、「非合理的なもの」等々のコンテクストの発見は、別様のリアリズムを提起するに至った。見田宗介氏は、キュービズムミニマリズムにその例を求めている。同様の議論としては、新井満氏の「引き算芸術」論がある(新井[1997])。新井氏は「充足主義」の芸術観を「足し算芸術」と呼び、これに「引き算芸術」を対置した。それは、不要なものを極限的にのぞいてゆき「余白でそっとつつむ」ような表現法である。新井氏は、「引き算芸術」=日本文化という等値はせず、むしろ西欧文明のなかのキュービズムミニマリズムという思潮、そのコンテクストにあるサティに「引き算芸術」を代表させていた。さらには、オキーフの絵画なども、新井氏は同様の文脈で整理している。*1
 こうした「不足主義」の文脈で、マクルーハン[1964]の「クール」という概念を論じることも可能であろう。これは、「論理的な塗り込め」の減少=「クールダウン」という世界観である。これによってテレビ文化は肯定され、さらにこの見地はインターネット化の分析、若者のコミュニケーションの分析にもさかんに用いられている。すなわち、デジタル社会のリアリティや、若者言葉の分析などである。ここから、若者的な行動である、ザッピング(テレビのチャンネルをしきりにかえてみる)、ワン切り(携帯のワンコールで「気にかけているよ」と意志を伝える)、絵文字なども考えてゆくことができるはずである。

4−3.落語の「間」−−模倣・パロディ・型

 さて次に、二つ目の問題である「間」と「非日常性」の問題を考えよう。上であげられていた歌舞伎や浄瑠璃、あるいは端唄等々も、大衆文化なのであり、一定の文化の世俗化によって生まれたものであろう。世俗化の背景には、無常観、時間観があり、宗教的な世界観がある。しかし、「非日常の日常化」によって、別様の「非日常」が生まれ、そこにおいて「間」が論じられているということになる。このような観点から、歌舞伎などよりも後発の文化である落語の「間」についてみてゆくことにしたい。永井啓夫氏に「寄席の芸−−間へのアプローチ」という論文がある。この論考は、より後発的なマージナルな芸能としての落語に注目している点で検討に値するだろう。
永井氏が描いているのは、中井氏や武智氏が論じる「瞬間の裂け目」、「瞬間の神秘」とはまた異なる世界である。論文の節タイトルを見ると、寄席の環境、木戸、前座、拍手などの文言が目につく。要するに、掘っ建て小屋のような貧しい小屋に、一般大衆が話を聞きに来ていてといった環境から落語というものが生まれたという分析照準する趣向である。天井も低いし、立って踊りもできない。だから生まれたのが座踊り。このような分析の方向で、落語における「間の芸」を解析している。
 設備が貧しいから、立って踊れないだけではない。設備が貧しいから、大きな主題や形式をもつことができなかった。だから、歌舞伎などの先行する芸能の主題や技法をちらりと暗示する。小話のオチを聞かせる。そして、模倣とパロディが主たる芸になっていったのだと永井氏は言う。貧しい小屋で、ホンモノをリアルに再現するとかではなく、ちらりとさわりを魅せてみる。そこで客は拍手する。こういう瞬間の芸が、落語の芸だとすれば、それはまさに「間の芸」であるということができる。それは、幇間のお座敷芸ともまた違うにしても、江戸っ子の粋やシャレと結びついた芸である。こういう芸は、時代の変化とともに目まぐるしく変わる。だから、方法や型が定着しにくい。永井氏の分析は、やや飛躍はあるものの、「間の芸」としての落語をわかりやすく分析していると思う。
 客と舞台の相互作用のなかに生じる「間」を、拍手に着目して分析した議論とともに、この論考の一番の功績は「型と間」の関連に注目したことである。「上・下」ほか落語の型はいろいろあって、それにより「対話の芸」としての落語が成立する。そこで肝心なのは「芸としての間」なのだという。永井氏は、十代目金原亭馬生の談話を引いている。

落語の場合は芝居の台本や講釈とちがって“ト書”というものがない。対話のみで噺をすすめてゆくわけですよ。対話の中だけで、年恰好から性格すべてに至るまで表現しなくてはならない。必然的に言葉が生きていなけりゃ噺になりません。
言葉そのものには駄洒落っていう遊びの面白さはありますけど、本来は人物同士のやりとり、つまり“間”が面白いのであって、言葉そのものには面白さなんかありませんよ。
 言葉ってえのはあまり智恵がないんだよね。本当のこというと。喋らない方が智恵なんです。何も言わないで通じなくちゃいけないんだ(永井[1983]より)。

 ある「型」を具現する「間の芸」を、落語の場合は一人で維持しなくてはならない。演芸において、「型」は重い圧力となるが、三味線のつく浪花節、講談の張り扇みたいな守ってくれるものがない。初心のうちは、「型」とそれに命を吹き込む「間」を学ぶ必要があるが、名人上手のコピーをしてもどうしようもない。自分の型と「間」をつくることが必要だ。そう永井氏は言う。

5.関係としての「間」

5−1.要素論と本質論−−「間」の同定

 このように考えてくると、「非日常」の「真実」がなくても成立するものではないかと思われてくる。むしろそれは、瞬間という「あいだ」に生じるものなのではないか。これを議論するためには、「間の同定」の論理を問題にする必要があると思う。こうした観点から、奥野健男氏の『“間”の構造』[1983]は興味深い。
 この書物は、文学作品、文化表象に限定はされるものの、文字通り「間の構造」を論理的に分節した議論である。奥野氏における「間」は、西欧的なものと日本的なもの、陶酔と覚醒、永遠と瞬間等々のぶつかり合いとしてとらえる武智鉄二氏の議論と似通ったところがある。奥野氏はもう少し抽象的な次元で、「間」について考察を行っており、その議論は芸術表象のみならず、生活文化としての「間」を考えるための手がかりを与えてくれるように思われる。その手がかりとは、関係論的に間を同定する視点である。
 奥野氏はまず、二つの要素のぶつかり合いとして、これをとらえている。その典型例として奥野氏があげるのは、室生犀星の詩である。奥野氏のこの著作は、室生犀星「寺の庭」の引用から始まる。

つち澄みうるほひ
石蕗の花咲き
あはれ知るわが育ちに
鐘の鳴る寺の庭

 水や大気といった「澄み」の要素とは反対の「濁り」の要素としての土。この二つのぶつかりあいのなかに、室生犀星の作品宇宙がたちあがる。異質な元素、要素のぶつかりあい。その反発、闘争、吸引、宥和、共鳴、結合などの境に、詩的想像力、詩的イメージは、突如劇的に生起し、浮かび上がる。バシュラールはこれを空、水、火、大地という物質的想像力の四要素から説明しようとする。
 要素主義が、実体論、本質論に陥ることは、行動科学の歴史において、必然的なものであると言える。バシュラールの啓示は、そのような限界性をくり返したものだとも言えるのである。

5−2.界面・境界の学と構造・関係の学

 奥野は、バシュラールから受けた啓発を認める。そして、精神分析などに影響を受け、本質の探求を行っていた過去をみとめる。しかし、現象の背後に本質を見ようとする思考枠組みとは、決別することになる。奥野氏は、三島由紀夫氏の次のような発言を紹介している。三島の発言は、精神分析の本質論、実体論を批判するものであった。

君は内部とか、深層とか、どろどろしたアモルフだとかが好きで、それをこそ本質と考えている。しかしぼくは表面、サーヘスしか信じない。表面こそ本質であり、表面に だけ詩や文学がうまれるのだ。精神分析学や民俗学は折角美しい表面をこわし、あおみどろのどぶ泥をかきまわして、文学作品をこわすだけだ(奥野[1983:19])。

 この発言を時間を経て受け入れたことが、「間の構造」論の一つのモチーフとなっている。要素と要素の接触の場は、表面であり、界面である。そう奥野氏は考え、界面科学、境界の科学として、想像力論、「間」の議論を構想している。ここで奥野氏は、レヴィ=ストロースの一連の文章を引用する。

「構造」とは、要素と要素間の関係とからなる全体であって、この関係は、一連の変形過程を通じて不変の特性を保持する。・・・要素と要素間の関係とを同一平面においている点にある。−−形式と内容の間には恒常的な関係が存在する。・・・構造は「不変」の概念であり、他の一切が変化するときに、なお変化せずにある。・・・「構造」と呼ばれるものと「体系」と呼ばれるものとの違いは、「変形(変換)」の概念であり、体系もやはり、要素と要素間の関係とからなる全体と定義できるが、体系には変形が可 能でない。体系に手が加わると、バラバラになり崩壊するが、これに対し、構造の特性は、その均衡状態になんらかの変化が加わった場合に、変形されて別の体系になる。
レヴィ=ストロース『構造・神話・労働』みすず書房 奥野[1983]より)

 奥野氏は、レヴィ=ストロース構造主義再考」にある顔の例も引いている。顔の個別性をなしているのは、目、鼻、クチビル、耳・・・などの要素ではなく、要素間の関係である。これに対し、バシュラールは、目、鼻、クチビル、耳・・・の要素に詩的想像力の源泉を見いだした。そう奥野氏は言う。そして要素間の関係を関係素という奥野氏の用語に対応させる。ただし、奥野氏は、要素と要素間の関係を同一平面におけるのかという判断は保留というか、問題の埒外だと言っている。そして、バシュラールの、四つの要素を組み合わせて使うと主張する。二つずつの関係が六つで、二つ以上が・・・と要素のぶつかり合いの力学を明らかにしてゆく。

5−3.「間」と時空の分節

 奥野の提起するもう一つの論点は、「間」の議論との関連で、「人間」という言葉に注目すべしということである。奥野氏は、ここに関係素の起源を求めている。要するに、「人と人の間」が大事なのだということである。さらに、とき、ところ、ひと、この世、英語のtime、space、man、societyは、時間、空間、人間、世間とすべて、「間」であわらされる。日本人の「間の構造」、関係への感覚は研ぎ澄まされている。そう奥野氏は言う。そして、時間、空間、人間、世間などと関わらせて、「間」を仮説的に論理化することを試みている。奥野氏は、「間」の議論を、「バシュラール的深層意識的土俗の元素の関係素」の問題と関わらせるというわけだから。

時という直線上を流れ行く概念を、過去から現在そして未来へと向かう一次直線的な指向を、現在の瞬間、瞬間の点の連続の線ととらえず、“間”ととらえるのは絶妙な感覚であり、思考である。時にはじめがあり、終りがあるという沙漠民的、一神教的な感覚、つまり神がつくり給うた絶対の運命とも、また時をインドや農耕民的な無限に循環し、繰り返す円環的なものとも考えず、“間”としてとらえる。つまり過去から未来へと向う永劫の中での、あるいは無限に循環する繰り返しの中での自分が生きられ、自分が体験し、認識することのできるその中の有限の“間”として時を、時間としてとらえる日本人の現世的で、諦念的な、独特の“間”の思考、感覚による時間論が生まれる(奥野[1983:23-24])。

6.「間」の社会性

6−1.「機能の言葉」と社会学的啓蒙

 奥野氏の見地は実体排除の関係論から、「間」を考察することであった。ここで、宮台真司氏の「真理の言葉」と「機能の言葉」という対立概念を用いて、奥野氏の見地を社会学的に解釈したい。「真理の言葉」とはなにか。現象の背後にある本質、そこにあるはずの真理を探究し、真理を説明する言葉が見つかったら、それを実体として因果関係を説明する。こんな方法の言葉を総括して、宮台氏は「真理の言葉」と呼んでいる。対して、そうした説明方法、本質や真理の探究を断念し、現象的な関係性のみを問題にすべく、モデルをつくり、説明をし、限定的な問題を解決するプラグマティズムに徹する言葉を、宮台氏は「機能の言葉」と呼んでいる(宮台[2004:233-255])。
 一見したところ、グランドセオリーに対して、中範囲の理論を提起したマートン的な聡明さと似ているようにも思える。しかし、ピースミールな分析の積み重ねがやがて一般理論を結実するというようなマートン的な安易な期待は宮台氏にはない。むしろ部分の積み重ねという安直な議論における、「真理の言葉」の目的論復活が警戒される。よって、「真理の言葉」の機能主義化では、問題は深刻化するだけである。
 これはなかなかにやっかいな問題で、批判しようとしても、逆手にとろうとしても、解決はつかない。そこで、解決の意匠として注目されるのが、ルーマンの「社会学的啓蒙」である。それは身近な問題から普遍理念までを「機能の言葉」で表現することである。機能主義は、「真理の言葉」をラディカルに否定する定義そのものとして純化される。そして、たとえば全体性志向=「真理の言葉」、部分志向=「機能の言葉」という安易な等値なども批判される。全体や非限定を断念すれば、あやしげな実体をふりかざす議論が回避できるわけではない。機能主義の徹底化、「機能の言葉」の機能主義化により、全体性をめぐる議論ははじめて実体論を回避できる。「『機能の言葉』は、『真理の言葉』的なカタルシスを放棄する代わりに、相互言及の網によって相対的に全体性へと接近する」(宮台[2004:239])。そう宮台氏は言う。こうした方法論は、「刹那的な若者」「身近を愛する若者」の存在論とより親和的である。ここには、問題作『制服少女たちの選択』以来の宮台氏のフィールドワークの理由が述べられていると思う。社会が融解し、文化が肥大化する時代の社会性を考察するために必要不可欠な作業なのだ、と。

6−2.「間」の同定について

 「間」の同定の論理を機能主義の見地から問題にするのが、筆者の立場である。この場合の機能主義とは、事物を機能(function)に変換し考察する方法的立場のことである。別の場所(伊奈[2004])で論じた議論であるが、今一度くり返す。機能とは、関係の見地から見た有のことであり、実体の見地にたつ有論と対立する(Rombach[1965-1966=1999:1-57]、特に訳注2)。機能主義は、事物を一定の関係性に変換してとらえる。これにより論理的な関係性に立脚した思考が可能になる。とりわけ関数(function)関係への着目は、自然科学の数学化をうながし、数理モデルを運用する精密な実証主義的方法へと機能主義は橋渡しされた。機能主義の発想は近代以前から存在するが、20世紀に機能主義は一つのパラダイムを生み出した。その要点は、一定の関係をなす全体(意識、集団、組織、システムなど)のなかで変化する要素的部分(観念、欲求、役割など)のはたらき(function)に着目することである。こうした知見は一見「間」というような文化表象の解析とは無縁であるようにもとられられるかもしれない。しかし、次のような新しい文化社会学の知見を踏まえるとき、整合的な解釈も可能になるように思われる。つまりは、構築主義ルーマン構成主義フーコーの理論、アルチュセールの呼びかけ論などなどに、構成主義的な性格を読みとるということになるかと思われる。

 フーコーのゲームには、観察者なら見てしまう仕切がない。『差異を解放するためには、矛盾のない、弁証法のない、否定のない思考が必要である。相違のための肯定を語る思考が必要なのだ』。そうした思考の生命が継続されうるか否かは『真のフーコー』への収束や調和にではなく、そこから複数の異質な作動が創出されてゆくかどうかにかかわっている。それをそれぞれに実行していこうとするとき、その機構を実現しつつあると思われたのがオートポイエシスであった。経験科学の認識論的凝着を崩しつつたどりつかれるのは、ひとつの点のような立場ではなく、線のような動きである。引かれた線のようにではなく、線を引くことである。フーコーとはそうした行為そのものである」(園田[2001])。

 ここから解釈できることは、なんだろうか。関係的な全体を予感させ、あるいはそれをあぶりだすような「間」は、時間の裂け目のようなものとしてあらわれる。しかし、それを絶対客観の観察者として見ることは、どうなのだろう。「空」と言おうが、「神秘」と言おうが、あるいは「日本的」と言おうが、「不足主義」と言おうが、そのように「間」の同定は、客観的な眼を前提にしている。能、歌舞伎、落語、あるいは日常の礼儀作法立ち居振る舞いのどこに「間」を見る場合も、そのような眼で見るならば、そこには近代主義的な二分法が派生する。
 端的に言えば、舞台芸能の議論において、舞台と観客席が峻別され、舞台上での営為が客観的に分析されることになる。観客の眼の洗練や、受け答えなどの、相互行為があり、そこに「間」が構築されているということは看過される。新しい文化社会学の知見は、相互行為により構築される「間」の分析を示唆しているように思われる。それはまた逆に、いろいろなところ――つまりは若者の「構え」――に「間」を読解することの妥当性を示していることにも注意したい。

6−3.「間の両義性」−−小括に変えて

 間の問題とは、一方で「あいだ」「ほど」などをめぐる洗練の問題であり、他方でそれを同定する論理、倫理、美学の問題であった。それが日本の伝統文化として特定されるかということについて言えば、ひとつには「不足主義」の問題、もう一つには「非日常性」の世界観とのつながりという問題であった。
 これに対して、武智鉄二氏の議論は、伝統的・神秘的な魔という要素と、そのマニュアル訓練、同定、キマリといった要素を考察し、ふたつの要素のせめぎあいとして、「間」が変容したことを指摘するものであった。能から歌舞伎という変化において、「間」を規定した立論は、「間の変容」の指摘として興味深い。さらなる後発芸能としての落語を分析した永井啓一氏の議論からは、「間」のさらなる変容を読み解くことができる。こうした議論と、西欧における「非合理的なもの」の発見という文化表象の変容を関連づけることで、「不足主義」と「充足主義」の問題は、むしろ「間の両義性」の問題として議論することができるようになると思われる。機能主義有論の展開は、関係的な有のとらえ方を刷新することで、社会的実在の把握としての「間」の議論に一石を投じているように思われる。それは、現実のなかに「正しいもの」がひそんでいるということを前提にした中井氏的な「間の実体論」に転換を迫っているということも言えよう。
 南博氏の議論は、日常生活における間というものに議論をすすめた。しかし、辞退的な制約などもあり、若者を中心に「不足主義」から合理的な「充足主義」への転換が行われ、日常生活に置いては「あうん」もなにもない散文的な関係性が顕在化することを予言するものであった。しかし、この辺はいささか違った結果になっていることは、多言を要しないだろう。そこで、「若者の間」を問題にしうるかである。それは、「間」を読解する者次第であることが、上でも示した、昨今の構成主義的な諸理論が共通して主張することである。相互行為において読解される洗練や美として「間」を問題にすることが可能になる。「若者の間」は、呼びかけ方により、洗練したものにもなり、また「間抜け」にもなるのだと思われる。

文献

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付記:本研究は2004年度日本経済研究奨励財団奨励金を交付されて行った研究成果の一部である。

*1:NHK『未来潮流』1997において、見田[1996]はテレビ番組化されている。竹田青嗣、石弘之、新井満と見田が対談し、歴史的な映像資料や、現代の消費文化を捉えた映像などともに、書物を解説している。新井の議論は、書物のなかでは登場しないが、テレビ番組では大きくクローズアップされ、サティ、ピカビア、オキーフの芸術、ミニマリズムキュービズムなどの芸術思潮などが詳細に解説され、それが今日の環境音楽、環境ビデオなどにおける「余白でそっと包む」という考え方と対比されている。