梅津信幸『「伝わる」説明術』

 将棋の羽生善治四冠がスポーツ評論家の二宮清純氏と対談をしていて、そこでものごとを単純化して考えるということを言っている。難解な局面の多様な広がりを単純化して、明快な手段として洞察する。将棋では、強い人ほど見える手の数は少ないのだという話をよく聞く。難解複雑な場合わけはいくらでもできる。それをあーしようか、こーしようかなどと考えるのは弱い人で、強い人ほど一目でよけいな手は捨象され、少ない手しか見えないのだというのである。そういうことはよくあることだろう。*1授業などでわからないという声はいやというくらい耳にしている。そして授業の反省として、「わかるということ」はどんなことなのかを伝えられないからわからないのではないかと思うに至った。そんななか手にとったのが本書である。

「伝わる!」説明術 ちくま新書(551)

「伝わる!」説明術 ちくま新書(551)

 この本は、「ちょっと頭がいい」と言われる人は、ものごとをやさしく変換して理解しているのだというところから話を始めている。このような変換を著者は「ちゃっかり変換」と呼んでいる。で、「「わかる」とは、ものごとの相互関係が見えている状態」であるというふうに明解に規定する。じゃあわかるにはどうしたらいいかということになるのだけれども、「アナロジー」を使うことであるという問題提起をし、詳細に説明をしている。『創造の方法学』では、独立変数と従属変数という概念を提起し、「わかること」が定義されていた。類書もいろいろなツボが述べてあるが、本書のポイントはこのアナロジー論であると思われる。なかみはなかなか深みがあるように思う。橋本大也氏のブログに興味深いエントリーがあったので、URLをあげておく。
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003743.html
 「立ち読み用」などと言って、書物の最初に明解な要約がしてあるので、書店で手にとって見れば、すぐに概要はわかる。大学の低学年教育に長いこと携わってきていて、「社会学的にわかる」というのはどういうことなのか、きちんとしないといけないなぁとおもう今日このごろ。

*1:ブルーバックスだったか、『次元からの発想』という本を読んだとき、なぜ高次元を考えるかというと、次元を上げるとものごとが単純化されて見えてくるというような記述があったことも思い出した。