らすくりをみる

 ほぼ一週間かけてドラマ『ラスト・クリスマス』をみました。『やまとなでしこ』あたりでは、イイ人だけど・・・という引き立て役に甘んじていた矢田亜希子がキラキラと輝きだした頃、狙いすましたように出てきたドラマであり、また配役その他から言ってもいわゆる「ジャパナイゼーション」を主導した日本ドラマの象徴でもある『東京ラブストーリー』のモチーフを生かしつつ、どんなパスティッシュをつくりあげるのかというところにヲチャーの関心は集まっていたように思います。
 矢田亜希子のスケ番あがりというような設定が不自然などという声もありましたが、「ばっけやろう、てめーな」みたいな啖呵もそんな悪くねぇんじゃないかと思いました。ただアマゾンの紹介にあった次の文はやはりちょっと??であります。「ドラマは、春木健次(織田裕二)の勤務する会社が主催する、スキーイベントの会場から始まる。会社の上司に呼び出された健次は、そこでひとりの清楚な女性に出会った。秘書課の青井由季(矢田亜希子)だ。だがその女性は、実は羊の皮をかぶった女狼、その清楚な笑顔の裏には、想像を超えた真実の顔が隠されていたのだった…」。
音楽は言うまでもなく懐かしいワムだし、バブリーなころ無理して小遣い貯めて、誰も彼もがホテルのクリスマス一泊ディナー付きパックなんぞを買い、それぞれのクリスマスをすごしたね、みたいな層から、若い人たちまでいろいろな人が見られるようにつくってあり、あわよくばブームつくってみたいな趣向がいろいろみられたわけではあるものの、ザッピングに耐えるというか、CDTVみたいな仕様になったドラマ映像において、「カンチ!」みたいなセリフが出てくることができるかは、ちょっと限界もあるのかなぁと思われます。ちょっと思ったのは、最近にしてはスゲー視聴率とゆわれた「ごくせん」の「こいつらの学校の先生だよ」みたいなセリフが流行語になっているかということです。まあしかし、誰かを出せば○○%ロジックが基調になっている今日において、いくら工夫したとしても、知らない俳優ばっか出てくる貧乏くさいドラマは自分も見たくないし、やむを得ないのかなぁなどと思います。
 あと、イケメン大王の押尾学と噂になりつつある昨今の矢田亜希子の状況においてとっていたら、もっとキラキラした映像がたくさんとれたかもなどと思われました。しかし、総じて懐かしいものがいろいろ横溢していて、「あの時代」を思いだし、そこそこ満足したのであります。
 無理矢理つくった悪い椰子とかが出てこないで、みんなイイ人でみられたのも、忙しいときには楽しくてよかったように思います。しかし、主演の二人も含めて、なんかみんな弱虫泣き虫なものとして描かれるようになったのかなぁと思ってしまうのは、たとえばエヴァンゲリオンの少年の一生懸命とか、リアリティをトラウマに切り裂く初号機だとかについて、わけわかめな理屈をこね回しすぎたツケなのかなぁなどと複雑な気分ですた。特に、MEGUMIの相手役のへなちょこのあんちゃんは、笑えるくらい典型的なキャラであり、そいつがそれなりに頑張ったりして、でもってみんながそれを励ましたりして、今どきのデリカシー、っつーか、不潔な言い方になりますが、癒しみたいなものを垣間見たような気になりますた。
 凶暴なまでにパンクであったのは、伊原剛志であって、最初はうぜー役やらされてかわいそうだとか思いましたが、だんだん慣れてきて、それなりに演じ込んでいくとなかなかおやぢギャグもナイスで笑えるんじゃないかと思ってしまったのは、私がおやぢだからなのでしょうか。w あと、最後に児玉清加賀まりこがああゆうぐあいになってしまったことの理由は、まったくもって不可解であり、ラストシーンの話の落とし方に、それなりに気を持たせるためかとか、いろいろ考え込んでしまいますた。