デンスケ賭博と中華まん

 横浜にちょっと帰っている。起きて、親が借りてきた本を返しに横浜市立図書館へ。ここにくるたびに、高校、大学、大学院とここの自習室に通って勉強したことなどを思い出す。修士論文を書き上げたのもここだったなあとか。今は建物もすっかりたてかわりきれいになっている。野毛の坂を登ってゆく途中で、神奈川県警の看板を見つけた。「デンスケ(いかさま)賭博・コーチ屋の被害が多発しています。ご注意ください」。場外馬券場のあるまちだから、コーチ屋はわかる。その名の通りコーチしてボッタくるということ。しかし、「デンスケ賭博」にはぶっ飛んだ。そーいや、先週弟家族などと食事をしに横浜方面に向かうため日之出町の駅に向かったとき、途中で人だかりがしていて、なんか叩き売りでもしているのかと思ったが、もしかするとあれもそうなのかもしれない。

 私がガキの頃などはときおり見かけた。ピースの箱にしるしの紙がついていて、シュパシュパと鮮やかな手つきで二つの箱を動かして、さあどっちだみたいなカンジだったか。一種の手品のようなもので、客がむきになって賭けてもすべてむしりとられるという趣向。サクラの人たちがとりまき、周りを見ると道の角々に見張りみたいな人が立っていたことを思い出す。種類はいろいろで詰め将棋とか指し将棋などまである。一手いくらみたいなかんじ。故升田幸三名人が若い頃、詰め将棋にかたっぱしから挑戦したみたいなことがエッセイに書かれている。これがプロでも油断すると間違えるようなものがあり、独特のひっかけ、けれんみがあって、どす黒いフェロモンのようなものを感じたなどと書いてあった。しかし、今の時代にデンスケとはなぁ。どんなのだろう。そのうちでんすけプレステとかでてくるのだろうかと思いつつも、街頭でやるならゲームボーイで商売にならねぇだろうなあなどと思い、笑ってしまった。ちなみにデンスケは、賭博ではなく、詐欺になるらしい。しかし、なかなか捕まらないとうちの親は言っていた。
 そのあと、横浜市民ギャラリーで書作展をみて(うちの親が会員なので)、それから元町プールで泳いだ。そーいえば、ちょっとまえにアクセスログみたら、「元町プール+デブ」でアクセスしている人がいた。たぶん狙って検索した知り合いと見たが、そうじゃなかったらかなり笑える話である。帰りに中華まんを中華街で買って食べながら帰るのが最近の日課だが、今日は初めて江戸清でまんじゅうを買った。買ったのはごまあんである。餡子はいろいろな木の実のようなものが練りこんであり、ちょっと柑橘系の香りもする。もちろんゴマたっぷりで中華まんらしく、餡子は炒めてある。かわはふわふわ系で、ゴマがたくさんかわにも入っている。ともかくもてないくらい熱く、そしてめちゃめちゃでかい。中華街で、お金がないなら肉まんひとつ喰えば、かなりおなか一杯になるし、みんな買うのもわからないことはない。私は、かわはもっとねっちりかたくて、醗酵がビシッと熟成しているようなものが好きなので、ちょっとアレだったが、好きな人はこの方が好きだろう。これはシュウマイが、かたいものがいいという人と、ふわふわスフレ系が好きな人といるのといっしょなのだろうと思う。
 しかし、江戸清はものすごい繁盛している。昔は中華街の肉やさんだった。創業明治27年らしいが、気どらないお店で、コロッケとかも売っていたような記憶がある。それが店の片隅にまんじゅうを置くようになり、ここから惣菜だとか、いろんなものを売るようになり、テレビでも取り上げられ、まんじゅう買って歩きながら喰うというスタイルを生み出す結果となり、精肉部門は店の奥の方にみえるくらいになり、今ではお店は一大お土産センターみたいになり、テンポは増えまくり、ネットなどを通じて全国販売もし、年商は47億円をこえるらしい。もちろんもともとの精肉店としても相当なものであり、伊藤ハムグループの一員でもあり、まんじゅうはその一部に過ぎないのだが、やはり知名度を上げたのはまんじゅうだろう。会社のHPをみると、平成元年に長い研究をへて、ブタまんを生み出したと書いてある。今度はブタまんを喰ってみようと思う。さてりちゃほだが、朝までやる登竜門だとか、日テレの24Hもあるし、しかし仕事はあるし、困ったモンである。