にらめっ魂

 駒大苫小牧高校甲子園夏二連覇は暴力事件発覚で暗雲立ちこめてしまった。事実関係がはっきりしない段階である。ビンタまで問題にしたら、9割以上の学校が出場停止だという漠然とした思いがどこかにある。プロ野球だって、ぶん殴られますたみたいな逸話はゴロゴロしている。グーはダメとか、何発殴ったらだめとか、まして殴った手が折れたのはどうかとか、線引きは難しい。ノックで袋にするのだって問題だし、ベースランニング10本追加しても問題になるときはなるだろう。休部や退部させても問題になることもあるだろう。特定の学生が「目をつけられる」ようなことになった場合は、親も交え、きめ細かい指導の必要な時代だということはたしかだろうが、それ以上のことは言えない。やくみつるが、テレビ朝日の番組でそういう場合に教育用のハリセンかなにかを誰かがつくればいいのだと言っていたのには笑った。やくみつるは大まじめの提案で、冗談などを言ったわけではないとくり返していた。ぼくらの教室には、ケツバットがあった。ガキ用のふにゃふにゃのバットにちょっと細工したもの。いい音がする。「ケツバット!」というかけ声は、ちょっとしたカーニバルのはじまりだったりした。まあそれでいいチームができるかどうかはわからないのだが。
 閑話休題。本日のあざーっす!ですが、またまたネタで競うにらめっこ。これって、「にらめっ魂」というんだね。大御所として、板尾創路がいることからもわかるように、しりとり竜王戦的ななんともいえない「間」の面白さが創発されることが期待されていると思うのだけれども、イマイチだし、だいたいにおいて板尾自体がはりきって上手いところをみせるなんてことはなく、率先してぐだぐだやっているんだから大笑いだ。しかし、作田啓一の言う(『恥の文化再考』)なんとも言えないような「間合い」、「自意識の笑い」「含羞の文化」がときおりかいまみられ、ちゃぶの山崎隊長だとか、カンニング竹山だとかが、ゲラな表情を照れくさそうにみせるところは、思わずにやりとしてしまったりする。もっとも藤原原西などのオーバーアクションは、自意識もへったくれもなく、デリケートなニュアンス芸などはぶちこわしになってしまう。対比して、より一層山崎や竹山、そしてなにより板尾が光って見える。小林信彦氏が、関西芸人は「引きの間」を使えないというようなことを言っていた。しかし、板尾は例外的な存在であるような気がしている。「引き」かどうかは微妙で、びみょうとか、わけわかめとか、ぐだぐだとか、ヤルキレスとかそんなものかもしれないのだけれども。
 もっとも見る方=アテクシの程度も知れたものであり、「ロードオブ(   )」なに?などという問題も、「となりの(   )」なに?という問題も、なにからなにまでキャンタマ入れておけばおもしろいぢゃねぇかよみたいな程度の低さだから、何か言えたぎりではない。たとえばチャブのやった「冬ソナの主演」=「チョン・ヨンファ」という解答も、そこそこの滋味があるわけで、あとは繰り返しやってみて、それなりのパターンができてくれば、かなり笑えるのかもしれないなどと思った。同じはずし系では、チャブ山崎の「アメリカの大統領は?」=ニカウさん、藤原原西の「地震雷火事(    )」なに?=「ボビンケース」というのもあったけど、今ひとつだった。結果、○○娘も、○○三世もなにもかも、キャンタマがおもしれぇよみたいなことになってしまうのであった。しかし、これのどこが大喜利仕様なのかは、私にはまったくわからないのでありました。このあと、sakusaku「みんなで歌おうぜ」のコーナーで、ヴィンセントのテーマⅢディスコバージョンのプロモーションビデオ仕様をみた。わけわかんないけど、ツバカッターの特撮?にはワロタ。