ゴーヤのおひたし

 別に通ぶるわけではないのだが、私は苦い味のものが好きだ。たとえばさんまのはらわたは、最近の海洋汚染などを考えるならば、かなりリスキーだとは思うのだけれども、新鮮なはらわたをみると、食べずにおくということはできない。さんま苦いかしょっぱいか。絶妙の言い回しであると思っている。あと、ピーマンが好きであり、特に豚肉と炒めたものが好きで、中学高校六年間のお弁当のおかずは、ほぼ毎日ピーマンの炒めたものだった。肉は入れられないときも多かった。安月給なのに私立などに逝ってしまったため、生活は鬼苦しかったらしい。それはともかく、ピーマンはよく炒めるとさらに苦味が引き立つ気がしていた。お弁当に持ってゆくと、味がしみて、しんなりする。焦げ目のついた、濃い眼の味の煮びたしのようなカンジで、本当に美味いと思っていたし、毎日食べても飽きなかった。
 その頃はゴーヤという野菜は一般的に流通していなかったと思うが、中華街でこれを食べたときはかなりぶっ飛んだ。楽園で、牛肉と炒めたものを食べた。肉厚のピーマンをさらに苦くして、滋味溢れるものにしたカンジで、この店ならではの絶妙な火の通し方の牛肉とともに食べると、モーしあわせと、おやぢぎゃぐの一つもとばしたくなるくらいのものであった。そんなわけで、うちの親のところや、私のところでゴーヤというと、ざくざく切って、豚肉や牛肉と炒め、醤油で味をつけるというものであるが、とーずーなんちゃらとか、なんちゃらジャンとか、なんちゃらそーすいうような調味料は一切つかわずとも、醤油でこんがり炒りつければそれだけでシアワセな味になる。もちろん、ゴーヤチャンプルを否定するつもりはない。豆腐と卵のまろやかさと、芳醇な豚肉の風味と、そしてゴーヤの苦味が混じったのはすばらしい料理で、これはどうやってつくってもうまいと思う。実は、最近セブンイレブンのゴーヤチャンプルがけっこう気に入っていたりもする。
 ただ自分でやるときなどは、極力油料理はしないことにしている。体のこともあるけど、キッチンの油汚れが出ないようにしたいのだ。で、最近はまっているのがゴーヤのおひたし。要するにざくざく切って茹でるだけ。茹でてから切るほうが栄養が逃げないかもしれないけど、切ってからの方がはやく茹る。お湯の中に塩をぶちこんだりすることもあるが、これは気分の問題である。たぶん調べればもっと厳密なレシピもあるのかもしれないけど、私は美味いものを喰えばツクレルトイウ信仰に近いものをもっている。これも、とある料理屋の突き出しに出たものだ。そこのはかけ汁が凝っていた。たぶん醤油と酢は入っていたと思う。ごま油とか加えてあったかは不明。花かつおたっぷりかけて、汁をぶっかけてあった。このあたりの雰囲気で、しょうがを加えてみたりいろいろしているが、どうやっても美味い。味付けより、ゴーヤの選択が問題かもしれない。親に教えてやったら毎日のように食っているらしい。