ためすえ:風雲雷雨に吠える

 為末大が日本時間昨夜未明ヘルシンキ世界陸上400メートルハードルで三位に入った。タイム48秒10の今期自己ベスト。本人前々回の世界選手権に続き二個目のメダルである。前回の世界選手権はダメダメ君で、プロ転向して、応援してくれた親ぢが氏んでと、浪花節な話題満載のためすえであった。地獄をみた人間が復活するドラマは、禿げしく人をうつものである。たとえば、長野五輪のジャンプ原田。失速か大ジャンプかという、パンクな魅力満載の天才ジャンパーはその前の五輪で失速し、大ブレーキ。そこから立ち直っての大ジャンプで見事金メダルとったときは、震えがくるくらいの感動であった。もっとも、あまりに原田はパンクであって、うひょーとかゆっているし、わけわかめで、笑っちゃったのであるけれども。
 ためすえは篤実な昔っぽい日本人で、カラテカやべっちそっくしと2ちゃんでも大人気。つまりは気弱で、へなちょこな風貌な人である。世界三位になった人をつかまえてそんなこと言うのはどうにかしているわけだけど、そんなカンジの人柄なのである。前回の世界選手権で惨敗したあとに、ためすえのテレビで特集番組が組まれたことがある。体格もへったくれもないためすえが、技術を磨き上げることでナントカ世界に対抗しようとしている姿が描かれていた。惨敗は体力の限界ではなく、技術の未熟ととらえるためすえはすごい人だとこのとき思った。今回の世界選手権前も、万全と言えるような状態ではなかったにせよ、後継の者があらわれ、また違う境地で出場権を手にした。
 準決勝のスタートの表情をみて、(・∀・)イイ!!表情だなと思った。静かに青白く萌えるというか、カラテカやべっちは、古武士のような表情になっていた。もしかしたらこの人はやるかもしれないと思った。そしてギリギリの決勝進出。ファイナリストの称号を手にして、まあよくやったと思ったのが、大方の見方ではないだろうか。ためすえは「メダルは無理でも、国際的に評価される結果を残したい」と語った。関係者のコメントとしては、前半もっともっと引き離して・・・というものが多かった。
 試合当日ははげしい雷雨で、強風が吹き、とんでもないコンディションだった。中断された競技もあり、なかには中止された競技もあり、トラックはべしょべしょだった。ひでぇなぁ。どうなるんだろうかと思った人は多いだろう。あまりに強い椰子がそろっていてメダルは無理でも国際的評価・・・っていうことは、48秒を切るということなのかもしれないけど、これじゃあなぁ。ハードルを蹴散らしてゆくようなパワフルなランナーならともかくとなかば諦めムードで、風呂に入って寝ようかと思ったが、雷雨豪雨で中止になった競技があり、中継が繰り上がるというので、みることにした。そしてスタート。3連覇を狙った王者フェリックス・サンチェス(ドミニカ共和国)は開始早々棄権。わわわわわと思っているとともかくためすえは、逃げ馬のように逃げてゆく。最終コーナーまわりトップ。けっこうリードは大きい。
 が、バーショーン・ジャクソン(米国)らに抜かれる。おつかれ!とか思ったら、なんと二の足を使っている。そして倒れ込むようにゴール。馬路?これって三位じゃないの?とか思っていると、馬路三位。すげー、キターと、2ちゃんの実況は大騒ぎ。馬路震えが来たとか、泣いたとか、カキコが乱舞している。親ぢが氏んだとか、スランプがあったとか、アナウンサーは絶叫。解説者もお父さんに見せてやりたかったとかゆっている。インタビューのねぇちゃんもその辺を聞こうとするのだが要領を得ない。2ちゃんには、TBSはぐだぐだでだめとか、罵倒カキコが乱舞。
 しかし、このあとのためすえのコメントには、正直総毛立つくらいの興奮を感じた。「勝負を狙っていた。雷雨になって、もっと風吹け、もっと雨降れと思っていた」と語ったときのためすえは、青白く萌えまくりで、非常にかっこよかった。狙い澄ましたように、最悪のコンディションのなか、もっとも得意の技術で勝負をかけ、逃げ残ったことは、たしかに運の要素も大きいだろうが、気合い一閃の勝負であったとも言える。競馬でいえば、不良馬場の鬼というかんじだろうか。さらに、ためすえは、「もっと色のイイメダルだったらよかったのに」とさらっと不敵な表情で言っていた。もうこれで上出来という人間とは、モチベーションが違うのんだなぁと、正直感心した。
 とまあ、ここまでは格好良すぎたが、親ぢの話になって号泣した。まあ愛嬌、そして人柄だろう。泣かないでふてぶてしくあったら、さらに格好良かっただろうが、そうじゃないとダメというのも言い過ぎかなあと思う。たとえば、マラソンの谷口選手は、勝利者インタビューで奥さんに「けいこぉ〜かったぞぉ〜」と叫んだり、踏まれて靴脱げて「こけちゃいますた」などさまざまな明言を残しつつ、世界トップに上り詰めた。しかし、この格好のドラマを、メディアがさほど熱心に伝えないのは、かなり不思議である。