中村政則『戦後史』(岩波新書)

 集中講義も三日目を終わり、あと四こまを残すのみ。上り坂を歩いてのぼり大学へ。そしえ、ずーっと雑談、というよりはおしゃべりをしていたとも言えるが、それなりにライフスタイルの変容について議論ができたと思っている。教養部の授業を再現しているかんじ。コミュニケーション能力の高い学生が多く、話題に詰まるということがなく、終わる時間を忘れるということもしばしばで、充実した時間をすごさせてもらった。岡山市に戻り、まだ再訪していないところを考えたら、本屋があった。あたらしくできたという県立図書館にもいってみたかったが、時間がなく、結局丸善を冷やかすのが精一杯だった。新書のコーナーを見たら、中村政則氏の新著が平積みになっていた。

編集部平田賢一氏の紹介より

 この本を書くにあたって中村先生は以下の三つの点を重視したと言われていますので、その点を念頭において、本書を手にとっていただけたら幸いです
(1)戦争とグローバルな視点を重視する貫戦史(トランスウォーヒストリー)という方法を用いて通史的叙述を試みる(これは通史を書く新しい方法で、これから注目されるものだと思われますが、その先駆的試みです)。
(2)戦後民主主義を否定的に捉える論調や歴史認識が強まっている中で、戦後の意味や可能性を捉えなおす(憲法問題を中心にこれからも多いに議論されると思われる戦後的なものの意味を考える際の最良のテキストになる本だと思います)。
(3)アジアとの関係や記憶の問題を重視する(靖国問題、教科書問題などで、アジア諸国との間の軋轢がなぜ続くのか、その理由を考えるために、戦争の記憶の問題とも絡めながら、戦後史をアジア諸国との関係を重視して描いています)。

中村政則氏のメッセージ

 いま日本は、戦後60年で最大の岐路に立っている。私は、それを「戦争への道」か「平和への道」かの岐路と表現したが、まさしく現在は、1950年代初めの朝鮮戦争、講和論争のときを彷彿とさせる状況である。かつて歴史家の家永三郎氏は、新憲法の真価(人権の保障、国民主権戦争放棄の三つ)を理解できるようになったのは、憲法制定時ではなく、むしろ1950〜51年頃、すなわち朝鮮戦争と逆コースの時代であったと記している(『一歴史学者の歩み』)。危機の時代にかえって歴史意識が尖鋭化するのであろう。湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と相次ぐ戦争に直面する中で、憲法「改正」問題が急浮上してきた。これに対し、「九条の会」を始め、多くの市民・学生が憲法九条をまもり、発展させようと立ち上がっている。私も、その隊列に参加したいし、本書自体が、一つの参加の方法になればと思う。本書が、戦後60年の歴史と歴史認識を深める上で少しでも役に立てば、これに過ぎるよろこびはない。
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/

 中村氏の日本史の講義は、大学一年のときに聴いた。一時限目の講義だったが、ナマケモノの寮生もこの授業と、永原慶二氏と渡辺金一氏のの経済史概論と、藤原彰氏の政治学だけは、可能な限り起きて、あるいは起き抜けで出席し、聴いていたと思う。みんな歴史学に惹かれていた。実学的なゼミに進んだ友人たちのなかには、「本当はこういうのを四年間やるのが面白いが、就職のことを考えるとそうもいかない」と言っていた者は少なくない。またある友人たちは、存分に歴史学を勉強し、銀行や商社に就職していった。そしてぼくたちは、そこに「大学」「学問」を感じていた。
 中村氏は、永原門下の新進気鋭の研究者で、大変な秀才だというふうに先輩から聞かされた。授業は切れ味鋭く、きれいな店舗でよどみなく語られ、几帳面な字で、縦書きに板書をしていった。勉強家の同級生は、「永原さんに比べると図式的だね」などとうんちくをかたむけ、ぼくたちはあんぐりくちをあけ、あほ面で「へぇ〜そうなんだぁ・・・」などと言っていたが、中村氏の思考の流れや、論理の組み立て方、物事の洞察に、知的興奮を感じていた。
 私が一番覚えているのは日本資本主義論争について、語ったときの講義である。この話は前にもしたような気がするが、まあ繰り返しもいいだろう。山田盛太郎は堅牢な鉄筋建築のような重厚なつくりで、とっつきにくいがはまると口調まで似てくる。野呂栄太郎は物事の本質をニートに捉える論理性とセンスがよくファンが多い。しかし、自分は一番服部之総に惹かれる。とんでもないところから話を始め、そして非常に深いところを抉り出してみせるダイナミズムは、どきゅそとゆう人もいるが、自分はカチンコチンエレクトだ。とりわけ物事の語り口が、一方では、そして他方ではと進んでゆくさまは、まさに弁証法そのものである。損なようなことを話していた。歴史学の真髄は、方法や、視点や、丹念な実証であることをじっくりと教え込みながら、こうした雑談を交えた話をされていたことは、強烈な印象となっている。マルクス主義歴史学の立場に立つことはみんな知っていたが、そうした講義は、立場を超えて尊敬されていた。そしてぼくたちは、そういうところに大学で学ぶことの大切さを感じていたと思う。
明らかに護憲の立場から書かれた本である。筆致はあいかわらず読みやすい。それをつくる会の教科書などとも対比しつつ、何度かくり返し読みながら、原爆や終戦について考えてみたいと思っている。