おやぢぎゃぐ

 仙台での未成年ジャニ飲酒補導の一件で、もう学生とコンパできないかもと思った教員は、けっこういるんじゃないか。つまりいっしょに飲んでいて、そのあと学生が井の頭公園かなんかで酔っぱらった勢いで騒いでいて、白チャリのおっちゃんに注意され、うるせーよごるぁああなどとゆって、タイーホ。もまえらなにやってたの?センセーたちとコンパー。もうほとんど状況いっしょじゃない。まあ、酒飲まない私としては、まったく困らないわけだけど、やっぱ希望があればコンパみたいなことはするわけだし、静かに話すみたいな人たちとコンパする場合は、さほど困らないものの、酒飲んで騒ぐコンパが好きな学年もあり、一回やってさすがにビックリして、以来全員就職決まってからねとかゆってシカトしまくっているわけだけど、卒業までにまったくしないわけにもゆかないわけで、なんともにんともと思っていたが、逆に言えばこの一件をたてにとれば、チミら飲んで騒ぐと責任持ちきれないから、静かにしゃべろうねみたいなことを言うこともできるかなぁなどと思った。いずれにしても、大学1年や2年のコンパはしなくてもよいことになる。まあ、考えてみるとやったのは2年ゼミコンパを1回くらいしかないのだが。
 母校では、なんと新歓はコーラでやることを議決したという。でもって、コーラの一気とかしているらしい。それはそれで興趣あふるるものはあるわけだが、正直寮でかなり馬鹿なことをやっていた私としては、あんまし規律正しい社会になってゆくことに、一抹の不安を感じないと言ったらウソになる。うちの弟なんかは、馬場で飲んでいて、泥酔して東伏見の友人宅まで歩いて行く途中パトカーを「おまわりちゃーん」とかゆってとめて、送ってもらったっつーくらいのもので、そんなバンカラをよしとした雰囲気はかつてはあったわけだけど、そんな時代遅れの豪傑ぶりぶりは、古き良き過去なのかもしれないとゆっていたら、とあるシビアな人に「古き良きではなく古き悪しきだ」とご注意を受けた。
 こういう問題は問答無用なのであり、問題になった以上は、へりくつを歌ったりせず、黙して謹慎するしかないということだけはたしかなことだ。ことの是非とか、そんなことは問題になる余地はないだろう。そして、酒を飲まない私は、なにを言ってもきれいごとになってしまう。っつーか、実はくだらねぇダジャレばっかり考えていた。菊間千乃とジャニってことで、ちょっとムフフと思っていたのだが、ケツメイシがあらわれたことで、ボクにとってはとてもツボなNEWSになってしまった。あまりといえばあまりな偶然。むかしちんぺい&牛(バンバン)の天才秀才馬鹿で、「ケツメッド・アリ」というネタを聴いた時にも笑い転げたのだけれども、今回はちょっと立ち直れないくらい笑った。
 そんな時代だから、『菊次郎とさき』を楽しんで、昔を懐かしみたい。二つのもののせめぎ合いがこのドラマのなかにはある。陣内のクソ大げさな演技を見ていると、子どもの頃見た気弱で飲んだくれていた篤実な労働者たちの荘厳な姿を思い出す(『人間交差点』のパクリ)。どっちもどっち、馬鹿らしく、そして逝ってよしなものである。どうしようもねぇバカらしさを超えて、赦しがあり、弱者のやさしさがある。居丈高な正義の憲兵に憎悪の感情を持つのもまた、憎しみの連鎖なのかもしれない。