菊地成孔@情熱大陸

 昨日は生活史研究会で農村調査の話をじっくり聞き、今日はルーマンの読書会でカチンコチンの理論話で、潜水病みたいな症状で頭がクラクラ。w さすがにクタクタになり、新星堂でCD、DVDなどをみたのだが、気が乗らず、帰ってボーっとしながら、テレビをみた。すると、菊地成孔情熱大陸に出ていた。音楽作品や、その他の活動などもさることながら、菊池の生い立ちのようなものが比較的詳しく紹介されたことがとても面白かった。普通こういう天才型といわれる人の場合、あまり生い立ちやなにかを語ったりしないのが多いように思う。作品と、来歴は別物だ。作品は作品だ。そんなスタイルが語られるのを聞くことはけっして少なくない。菊池もそんな人だと思っていた。情熱大陸のHPをみれば、誰でもそう思うのではないか。

 音楽家・文筆家 菊地成孔(なるよし)、42歳。21歳の時サックス奏者としてプロデビューしたが、キーボードも弾くし、作詞作曲もするし、エッセイも大好評だし、東京大学で非常勤講師としてジャズの講義もする。音楽活動もしているが、自分が所属するバンドは複数あり「どんな仕事をしている、どこそこの、誰々さん」と一言では言いがたい存在だ。
 それでも、若者を中心に圧倒的な支持を得ている。というよりは、それだからこそ支持は厚いのかもしれない。カテゴリーに縛られず、様々な方面からあらゆる表現方法をもって伝えてくる所がカッコイイのだと。
 番組では菊地に一ヶ月間密着し、その姿を浮き彫りにしていく。30分後には「キクチナルヨシってさー」と少し語りたくなっているかもしれない。
http://mbs.jp/jyonetsu/index2.html

 しかし、菊池は饒舌に自己を語った。今菊池の語りには、それなりの計算やなにかがあるのだとは思うけれども、語られているなかみにとても近しいものを感じた。菊池の生家は、港町で大衆食堂を営んでいた。海の荒くれたちが、そこを訪れ、メシを喰い、酒を酌み交わし、また時にはケンカなどをした。菊池は、近くのストリップ小屋に遊びに行き、楽屋でおねぇさんたちに頭をなでられたり、お菓子をもらったりしながら、成長した。場末の歓楽街の発散する精気は、子どもには過剰にすぎたのかもしれないが、とてつもない愛着をもち、同じニオイのするジャズの道を選んだという。今は、歌舞伎町の1Kのマンションに暮らす。窓から、歌舞伎町のネオンが見える。昨日も、救急車の音、パトカーの音が聞こえた。そういうのを聞くと落ちつく。そう語る菊池の語りは、ガツンと来るものがあった。これまでちょっと食傷気味であった、気持ちフリーなサックスの音もなんか親しいものに感じられた。
 ネオン街には郷愁を感じる。京浜工業地帯の労働者のギラギラとした欲望と、それを受けとめる街のあかり。実家の裏には、スナックがあり、一晩中カラオケを歌う音が聞こえた。ママさんがすみませんと、お中元お歳暮をもってきたけれども、こどものころから不眠症気味で、夜が怖かった幼少期に、このカラオケの歌声は、猥雑な精気を随伴し、なんとも言えないやすらぎを感じたものだ。それを作品にすること。音楽や文芸はともかく、学問はなんなのか。そう考えた時に、一定タイプの人々がベルリンの都市文化を研究したジンメルに惹かれることを思い出した。また、ミルズ研究なんてイヤだなぁと思いつつ、断念しきれなかった最大の理由は、やはり社会学版の『人間喜劇』を描こうとしていたということによるのだろうなぁということを再確認した。