奥崎謙三氏逝き逝きて

 今日も暑い。私がクーラーというものを自宅にもったのは、就職して二年目のことである。一年目は、夏のボーナスもなかったし、月賦でものを買うなどという発想は皆無だった。大学にはクーラーがあったが、まだ環境問題へのこだわりがかなりあったし、なるべくクーラーはつけず、熱いお茶を飲んで扇風機にあたりながらキーボードをうつと幸福を感じた。赴任前に研究室には新品のPC98が納入されていて、快適にキーボードで文字が打てた。それまでは、腕に手ぬぐいを巻き、ノートや原稿用紙が汗でぬれないように勉強したものだった。キーボードなら、そんな心配がない。
 岡山大学では、大学紛争/闘争はけっして過去のものになってはいなかったと思う。セクトの学生たちは全学ストライキを行い、ノンセクトの学生たちは大学自治のあり方の総括をくり返していた。受講生のなかにも、そうした運動に深く関わっていった人々がいる。そうしたなかで、強烈なインパクトによりキャンパスや、岡山のインディペンデント&アンダーグラウンドな文化シーンで話題になっていたのが、「ゆきゆきて、神軍」である。その奥崎氏が、なくなられたということである。85歳。毎日新聞の記事を引用させていただく。この記事は秀逸だと思う。最後の一文が馬路すごすぎる。

奥崎謙三さん85歳=「ゆきゆきて、神軍」に出演
 ニューギニア戦線で生き残った元日本兵が上官らの戦争責任を追及したドキュメンタリー映画ゆきゆきて、神軍」(87年、原一男監督)で知られる奥崎謙三(おくざき・けんぞう)さん(85)=神戸市兵庫区=が16日、神戸市内の病院で亡くなっていたことが25日、わかった。死因は多臓器不全。
 奥崎さんは兵庫県出身。第二次世界大戦中、陸軍の上等兵としてニューギニアに従軍し、戦後は神戸市内で自動車部品販売店を経営。69年1月、皇居一般参賀中、昭和天皇に向かってパチンコ玉を発射し逮捕された。この事件について書いた「ヤマザキ天皇を撃て!」などの著作もある。映画「ゆきゆきて、神軍」の中では、元上官を訪ね責任を追及、この元上官に暴行を加えるなど過激な行動が収められている。
 衆院選に立候補中の83年、上官だった元中隊長宅を訪問し、居合わせた長男に拳銃を発砲。兵庫県警に殺人未遂容疑で逮捕され懲役12年の判決を受けた。
 出所後は1人暮らしで、近年は病気がちだったという。昨年8月に自宅で倒れているところを発見され、入院生活を送っていた。死ぬ直前まで院内で「バカ野郎」と叫んでいたという。
毎日新聞 2005年6月26日 3時00分

 最初の結婚式のシーンでズッガーンと脳天をハンマーでうたれたようになり、馬路ヤヴァイ映像が疾走する。色や文字の残像が鮮烈に甦る。和太鼓の音がトラウマに残響する。奥崎氏は、怪気炎とかそんなんじゃなく、怒りを炸裂させつづけ、最後にドッカーンでちゃんちゃんなわけだが、非常にスタイリッシュであることにぶっ飛んだ覚えがある。ポーズの作り方、吠え方、怒り方、殴りかかり方。「シャレにならんよなぁ・・・」「パンクっつーしかねぇよなぁ」などと、貧しい語彙で学生たちと話をしたのを覚えている。戦後の繁栄とささやかな幸福、その象徴としての好々爺たちに、戦争に喰われた者たちの亡霊にとりつかれたような奥崎氏が殴りかかる。そんなふうなたわいもないことをいろいろと話しあった。当時、映画『電車男』がヒットするなんて思わなかった。また、選挙男が選挙に出るとも思わなかった。東郷健も高田がんも突き抜けていたなぁと思う。まあ、突き抜けているほうが偉いというわけでもないのだとは思うけど。