クリストの芸術

 昨日のあわやのぶこさんの講演メモ。昨年のセントラルパークでの「ザ・ゲート」の写真などを交えながら、クリストの芸術についてお話になった。セントラルパークの遊歩道に、7007500以上のゲート(あわやさんのご指摘「これに関しては、最初の段階では1000だったのに、NY市からプロジェクトが拒否されるたびにどんどん拡大していき、ついに7500で完成しました。そのクリスト側の楽天ぶりがすごいと思います」ということです)を配置し、そこにサフラン色の布を掲げたもの。私がこの講演を聴きに行こうと思ったのは、経験としての芸術という観点からクリストをみる視点が、興味深く思ったからである。これは、サティ、ケージ、シェーファーなどの音楽とも響きあうように思った。もっと詳しく知りたいと思った。
 クリスト夫妻は、一般にラッピングアーティストとして知られている。小さなオブジェから、建物まで、なんでも包んでしまう。そんな作品を数多く生み出してきたからだ。ホワイトハウスもやっちまえみたいな計画もあるという噂もあるよし。しかし、クリストはラッピング云々にはちょっと不満げだったと、あわやさんはおっしゃっていた。これに対して、「環境アーティスト」については、まあそうかもなどというふうでもあったが、「ラベルが必要なのはワインだけ」とクリストは言ったらしい。
 クリストの芸術は、公共空間のなかで表現される。そこには当然行政とのやりとり、住民とのやりとりなどがあり、そのプロセスもアートと考えているようだ。サフラン色のゲートを公園にならべる。セントラルパークはそれなりの自然がある場所で、環境への影響が当然ある。アセスメントが必要になる。コロラドリバーのプロジェクトでは反対運動が起こった。ニューヨークでもずっともめていて、市長がかわってようやく実現したということらしい。
 600人の協力者には、マクドナルドのアルバイトくらいのミニマムウェージが支払われ、総動員されて、設営がなされる。その間にも、ゲートの設営の方法などについて議論が重ねられる。当初は、道路に穴をあけて固定されるはずが、金属製の土台をおいて、その上に軽量のゲートをおき、ゲートの上にはサフラン色の布が巻物のように装着され、紐を引くと垂れ幕のように布が降りてくるようにしたらしい。23億円もかけたこの展示は、期間が終わると取り払われてしまうのだという。芸術とは、ある時間を経験することである。芸術とはなにかという問いかけをすることが芸術である。芸術とは記憶を作る装置である。散歩や買い物などでたまたまそこを通りかかった人、タクシーの運ちゃんたちがこれをみてゆく。クリストの芸術とはそのようなものなのだという。クリストの芸術は、従来の作る側、見る側、批評する側というような従来の図式を破壊してしまう。残るのは経験である。つくってこわすこと。クリストは次のように言ったそうだ。「自分たちが見たいものをつくっているのだ」。
 クリストの芸術は二律背反するものを含んでいる。そうあわやさんは説明した。巨大さとはかなさ、かたさとやわらかさ=冬の厳しさと陽の光、人工と自然などなど。都会のなかに、自然を呼び起こす装置を作った。隠すことと顕在化すること。ラッピングすることは、隠すことでなにかをあらわすこと。ラッピングすることで無意識は意識化される。一瞬と永遠。期間内に取り払われることで、記憶・経験は永遠化される。無国籍性と国籍性。ドイツ議会のラッピングは、<国>を顕在化させる。建物の政治性が顕わになる。クリストの芸術はノマドの芸術である。
 あわやさんは続いて、クリストの出自について説明された。クリストは亡命者である。クリストは、少年時代才気あふれるデッサンを残していた。しかし、共産国ということもあり故郷のブルガリアを抜け出し、パリへ。そして妻となるジャン・クロード@大金もちの家に肖像画家として抱えられたらしい。ジャン・クロードはカサブランカ生まれで、いろいろなところで暮らした人である。「東欧出身者でなければドイツの議会をこんなふうにはしなかった」そう語っていたそうである。
 最後に記者会見のことが語られた。「ザ・ゲート」の記者会見であわやさんは最前列に陣取る・・・つもりだったが、前に2列席が空いていた。なんじゃこりゃと思っていたら、そこおにはブロンクスのこともたちが招待されていたらしい。このあといくつかの逸話が紹介された。小説の一シーン。夫婦の作業分担。なんでお金を得ているのか。などなど。そのなかで面白かったのはスヌーピーの逸話である。クリストの家のトイレには、スヌーピーのマンガが飾ってあったらしい。スヌーピーの作者はクリストのファンで、そのマンガはスヌーピーの家をラッピングしてしまうというオチになっているそうだ。そして面白かったのは、スヌーピーの博物館みたいなところには、ラッピングした犬小屋が飾ってあるのだという。
 以上書き起こしみたいなことをしてしまった。私の理解不足もあるので、正確な表現ではない。日経新聞ほかの記事などにはより正確な記述がなされているはずである。また、いずれ取材の成果は公刊されるであろうと思われる。