東へ西へ:初心

 今日は結局国立へ濱谷正晴さんの講演会を聴きに行った。関東社会学会での安川一氏の講演も聴きたかったが、学会シンポジウムへの期待はどうしてもプロレスノリになりがちなところがある。まあそれでも、現時点で社会学の歩みについて総括する話は絶対に面白いに違いないとは思った。いっそホームで来た方の電車に・・・とも思った。ただ、だんだん事情がわかり、国立の方へ行きたくなったのである。要するに、科学者会議主催の講演会というわけであるが、大学院生の新入生(入院者?)歓迎講演会だということである。昔院生自治会がやっていたものと似たようなものだろう。私が入院した時は、平井規之氏の講演会だった。経済研究所の高水準の研究会、そこでの切磋琢磨について話されていたことが強烈な印象になっている。『経済研究』に載せるつもりの論考を、教授の先生が報告をした。これに助手の先生たちが苛烈な批判を行い、討議をしたが、その論文は結局ボツになった。これが学問というものである。そんな話だった。学問へのイニシエーションとして、強烈な印象となった。はるか後輩の新歓講演会を聴くことで、なにか初心を確認することでなにかを得ることができるかもしれないと思った。それが、国立に向かった理由である。おまけに講師は、濱谷正晴さん。『社会学的想像力』をはじめて読んだ時のゼミの先生である。しかもその濱谷さんが『原爆体験』を出した。これは聴かなくてはならないと思った。部外者だけど、まあ行けば聴かせてくれるだろう。それは揺るぎない自信だったし、実際問題はなかった。
 新歓らしく学生時代の経験から、研究歴が詳しく語られた。院生時代に、他大性なども集まる場所で被爆者調査の話をしたら「そんなことをしていて修士論文通るのか?」と他大の人に言われたというのは、かなり興味深い話だった。まだ、中野卓氏の著作も、石田忠氏の著作も出る前であり、生活史調査というようなものはあまり認知されていなかった時代のことである。そこからすべてを創りあげてゆくプロセスが語られたことは、途中から私自身の記憶とも重なるところがあり、感慨深いものがあった。被爆者運動、原水爆禁止運動などの動きも交えながら、調査の進展が語られていった。「償い」「罪意識」などの話は、テレビ映像なども交えながら、わかりやすい話がなされた。肉親を見殺しにせざるを得なかった人が、40年間被爆者手帳の交付を受けず、考えつづけたあげくに甲府をうけたというような話などを聴きながら、「カムアウト」をめぐる金田智之さんの議論を重ねてものを考えていた。質問の機会を得たので、部外者で厚かましいとは思ったのだが、「データ」ほかのことばを使うに至った経緯、「統計だけが残る」と言いきった石田忠氏のことなどを質問させていただいた。途中で抜けて関東社会学会に行こうかなどと思っていたが、最後までアッとゆうまに時間が過ぎ去った。有意義な休日だったと思う。