「ヒョーショージョー」も逝っていた

 実家で相撲の話をひとしきり。むろん先代貴乃花ネタ。うちはぢいさまが非常に相撲が好きで、名勝負になるとたいへんな力を入れてみていた。それは、天覧相撲での昭和天皇の力の入った観戦ぶりと重なり、明治の人の相撲好きと言うのはこんなものだろうと漠然と思っていた。そのぢいさまの影響もあり、うちはぢぢいもおばあも相撲を必ず見ている。とある女子大の元ゼミ生の家のように、大相撲ダイジェストの時間になりテケテンテンとはじまると一家が茶の間に集まるというほどではないのであるが。その親に聞いてぶっ飛んだが、な、なんと「ヒョーショージョー」は2月に逝っていたんだな。ネットを検索してみた。90歳近かったとは思わなかった。

 デビッド・ジョーンズさん(元パンアメリカン航空極東支配人)は2日、心不全のため米国ネブラスカ州オマハで死去、89歳。葬儀は11日に現地で行われる。
 米国のサンフランシスコ出身。大相撲の千秋楽で61年夏場所から優勝力士にパンアメリカン航空賞のトロフィーを授与。「ヒョー、ショー、ジョー」など独特の口調で人気を集めた。地方場所ではご当地のなまりをたくみに取り入れるなど、ユーモラスに表彰状を読み上げる姿が千秋楽の名物になっていた。パンアメリカン航空が極東路線を撤退した後も91年夏場所まで表彰を続けた(朝日新聞2月5日)。

 外人なのに和服で決めて、相撲取りよりは小さいから、精一杯胸をはって、「ヒョーショージョー」と大仰に読み出し、「あんたはんは・・・がんばらはりました」などとわけわかめなパフォーマンスで大人気だった。毎回決まっているけど、それを30年間も楽しんでいた相撲ファンというのは、なかなか興趣あふれるものがある。でっかいトロフィーをもってよろけたりしたこともあったと思う。始まったのが、60年安保の翌年というのは、まあそれなりの意味合いやミッションもあったのだろうとは思うけど、そんなふうにアメリカはぼくらのこころのなかに、非常に印象のいい存在となっていったように思う。チェコスロバキアなんかもやっていたのだが、いまいちだったかなぁ。