若貴兄弟父親である二子山親方、元大関貴乃花が亡くなった。まだ55歳であったという。病状が悪いということは報道されていた。ガンであると公表された。快癒を期待していたなどと言うと、嘘くさい美辞麗句だと思われる人も少なくないと思う。しかし、昔を知る人は、貴乃花関の二枚腰、三枚腰を何度も見てきた。大型力士に押し込まれながら、小兵の貴乃花がこらえにこらえてうっちゃる勝ち方は、高度成長から安定成長期に至る頑張る労働者たちに、大きな勇気を与えた。ギリギリの勝ち方は、ファイティング原田、力道山といったヒーローとはまた違う、大場政夫、テンポイントといったヒーローと同様な、悲壮な生命の燃焼を感じさせ、多くのファンを魅了した。
記録まで作った水泳選手であったことは有名。それが、兄の相撲部屋に入門する。土俵の鬼と言われた兄初代若乃花は、ものすげーシビアーで、ボコボコのタコ殴りにしながら、弟を鍛え上げたという。酒の飲ませ方、メシの食わせ方なども尋常ではなかったようで、体調をこわしたようなこともあったらしい。しかし、小兵ながらスピード出世して、大関に。ここからチャンスもあったが、なかなか横綱になれず、カド番をしのいだりしながら、名大関として引退した。貴乃花の軌跡や、猛烈な兄のしごき、青森から上京した兄弟の物語などは、『大関にかなう』という著作に詳しい。実によい題名で、名大関にふさわしい著作だと思った。往年の力士が懐かしい。貴乃花に「修羅」ということばがあてはめられているのにはドキリとする。ちなみに若秩父は、当事のデヴの象徴であった。
- 作者: 石井代蔵
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1988/05
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大学出身の輪島関が、どんどん出世して横綱になってしまったときは、ファンは悔しがった。氏んだぢいさまなどは、輪島のゆるふんに激怒し、「なんだあのまわしのしめ方は」とか文句をつけ、黄金の左腕=下手投げにもケチをつけまくっていた。輪島は要領がイイカンジで、また体もでかく、才能もあるカンジで、東北人で、努力家で、頑固者の貴乃花とは対照的であり、憎まれ役になっていた。しかし、2人は仲良しであり、夜の帝王龍虎関などは別格としても、千代の富士師匠北の富士関などとならんで、相撲界ではイケメン軍団であった。輪島関と貴乃花関は、いっしょに資生堂「アウスレーゼ」のCFに出ている。輪島関が「あうすれーじぇ!」とかゆうのが、妙におかしく、また懐かしいものがある。
なんか今写真を見ると冗談みたいだけど、無口で何も言わない貴乃花関の意外な一面としてぶっ飛んだ覚えがある。2人の子ども、妻、兄、輪島関たちは、いったい何を言うのだろうか。ゼミが終わって、休憩でネットサーフしていて訃報に触れた。いろいろググって、エントリを書いてしまった。時間を無駄にしてしまった。トホホ。おまけに今日はお台場明石城なのであった。あーあ。