温故知新

 プロジェクトY=しゅ〜矢澤こと矢澤修次郎氏退官論文集、全文書き直しで煮詰まっていたが、修士論文を書くときに読んだ佐藤毅『現代コミュニケーション論』(青木書店)や森常治『ケネス・バークのロゴロジー』(勁草書房)『ことばの力学』(講談社現代新書)などをひっくり返していて、ほぼ絞り込みの方針が固まった。論の構成もさることながら、わかりやすく具体化するための例解がほぼ確定したことは大きく、早晩書けるとは思うけど、豪語した今月中はとても無理かと思われ。とほほである。しかし、佐藤氏の異化論からは、スゲー多くを学んでいたことを再確認。「君はボクの異化論にイカれているだろ」「異化論はイカすだろ」とか、わけわかめなダジャレをゆっていたことなどを思い出した。ブレヒトブロッホの議論が、どれほどまで今日的かはわからないものの、中井正一だとか、ケネス・バークだとかの読みは的確であり、しばし沈黙であった。温故知新というよりは、初心忘れるなんとかかもしれないが。そんなわけで、昼食後ながら真っ昼間から余裕のカキコ。それにしても、私は一日一回「わけわかめ」と書いているようだ。はてな鍵語「わけわかめ」からのお客様があり気づいた。
 ついでにいっておけば、昨日の就寝前の娯楽時間において、M1グランプリ2003のフットボールアワーが優勝したときのDVDを見た。リアルキッズ、とりわけ眼鏡のほうが見かけだけなのかみたいと思って借りてきたわけだが、イマイチわからない。オーラは放っているし、最年少という話題性はあるけど、ネタ自体もそうだけど、一気に逝きますみたいなカンジではなく、なんつーかリトルクリーチャーズみたいっつーか、独特の位置どりでやってゆくのかなぁなどと漠然と思った。アンタッチャブルは敗者復活ということもあるのだろうが、優勝時に魅せたような、舞台に上がるだけで華やかになるようなオーラがないと思ったのは、結果を知っていたからだろうか。まあ最後の決戦のところで、柴田の小木大サーカスチックなべしゃりが炸裂したとも言えるわけだけど。それでも、私にはこれが一番笑えたというのが正直なところである。
 なんでも関西と関東というのはなんだし、最近は関西的なものも十分関東に浸透してきているし、また南海キャンディーズなどはことばだけで言えば関西だか関東だかわけわかめなところもあるわけだし、そんな簡単に割り切れないとは思う。まあしかし、なんかこの回のM1は、非常にディープ関西なかんじがした。笑い飯にしても、フットボールアワーにしても、なんとなくモサッとしていて、フラでもネタでも、関西的な笑いの規律訓練を経ていないと、どうにもついていけないところがあるように思う。ガキの頃から、吉本新喜劇みて、ボケツッコミが日常生活のなかにあり、バリエーションとしてあるいろいろなお約束があって、でもってはじめて、アメマー、カイ〜ノ、くっさぁ〜とか、そういうニュアンスがわかってくるのだろうと思う。そういったネタのニュアンスだとか、岡八郎を私がほとんどわかりきれないのは、山田花子をわかりきれないところに通じるし、おやぢがアンガールズをわからないのとも通じると思う。正直、そういうボケかましと、関西では絶対にウケないらしいおぎやはぎ小木博明とどこがちがうのか、全然わからないものもある。
 あえて言っておけば、もちろん理屈ではわかるものもある。ここ来るのかなぁと思うと、シンスケとか、カウスボタンがアップになり大うけしているのがうつる。やっぱなと思うけど、笑いきれない。ただね、こだまひびきはわかるし、中川家もわかる、いとしこいしもわかるし、やすしもわかるし、阪神巨人もわかるし、フットボールアワーの二番目のネタのほうSMタクシーのほうはわかるし、それなりに笑った。もしかすると、関西関東ではなく、個人の好みの問題かもしれない。