うめ吉『明治大正はやり歌』をめぐって

 社会史だとか、歴史社会学というような名称で、民衆の暮らしぶりを瀟洒に分析したような論考に出会うたびに、面白いなぁと思うと同時に、なんかちげーんじゃねぇかと思うことも少なくない。昨日海老坂武のサルトル論を読んだせいかもしれないが、ある思想や方法や立ち位置決めれば、万能の正義が保証されるみたいなことは、なんとなくやなかんじがするのだ。良知力は、乱痴気騒ぎを起こした民衆の視点から、1848年革命を描出したわけだが、その底流には戦争の飢餓状況のなかで、「これを食べなさい」母親に言われ、「おめおめと食べた」あとで、母親が餓死したというような実話があったりし、かつ、その実話をおめおめと話してしまうことをどこかで馬鹿くせぇと思っているようなところがあり、にもかかわらずそれを誠実だなんだかんだとやくざな形容詞でくくってウットリみたいなばかちんがぞろぞろ出てくることも覚悟していて、その実とってもえげつないこともできる人だというその人間存在において、良知力の社会史はなんとなくわかる気がしちゃったりするのである。
 断交で徹底的に問いつめて「勝った」とみんなが思ったとき、良知がニヤッと嗤って「まあそのくらいは認めてやるか」と言ったり、あるいはまた全学ストを学生がやるみたいなときに他の先生が「まあ君たち」みたいなカンジのことを言い、とっちめられていたのに対し、良知は「ボクが君らの立場なら断固ストだ」とか言って、喝采をあびつつ、その場をまとめてしまったことなどを思い出す。実にえげつないのだが、ゼミ合宿で飲んだくれ、一升瓶抱えて寝ていたとかゆうような話を聞くと、妙に納得してしまったりしたものである。
 なんでそんな話をするのかと言えば、うめ吉の『明治大正はやり歌』なのであって、夫座敷芸はいいねぇ〜、イキだねぇ〜みたいな背後には、人身売買だとか、差別だとか、いろんなことがあったうえて、そういう歌があって、民衆だから(・∀・)イイ!!とかそういうもんでもないとおもうところもあるからなのである。このアルバムにおさめられている歌を、生活の中で聴けたことは、自分にとってある意味幸運なことであるが、逆に言えば、聴いたが故にこういうことを論じることについては、内容的には控えなければという気持がどこかで芽生え、堂々と論じることはできない。そんなことを気にせずに、ポップに楽しめばよいことはわかっているのだが。うちのばあさんなどは、近所の「朝鮮部落」の人たちと仲良くやっていた町内でも「珍しい人」だったのだが、はやり歌のなかに出てくるロシア人、中国人をやっつけたみたいなところを嬉々として歌っていたこともまたたしかである。替え歌もたくさんあって、玉すだれのうたなんかも「さては南京豚のクソ」などと平気で歌っていた。私が将棋をしに行っていた道場は横浜の花柳界日本橋にあったのだが、そこでも誰ともなしに明治大正はやり歌を歌い出し、妙な替え歌をうたって、アヒャヒャヒャヒャなどと歌っていた。
 しかし、うめ吉の歌は、そんなブルースを超出して、ひたすらぼっぷであると思われる。国内資本大手の新星堂が大プッシュ、店の新曲コーナーとってだしで、HPにも特設サイトをつくっている。宣伝文句もなかなかのものである。

 粋な着物姿に日本髪、平成の世に登場した三味線による端唄、俗曲を弾き唄う芸人、桧山うめ吉。
 邦楽ファンのみならず、若者の間でも話題の彼女は、全国津々浦々年間500本の高座をこなし、今やひっぱりだこの芸人。ことに寄席での人気は絶大で、このタイプの芸人には近年見られなかった、いわゆる「追っかけ」的熱烈なファンまでが出現。


 寄席の音曲師出身。本邦唯一の日本髪アーティストとして活躍中のうめ吉。寄席で培った三味線と唄で明治大正時代の寄席ではやった流行歌を中心にあつめたアルバムが出来ました。アカデミックになりすぎた今日の純邦楽にご不満の方、もっと庶民的な楽しみとしてのお座敷音楽をご所望の皆様おまたせしました。


新星堂HP http://www.shinseido.co.jp/jpop/indies/umekichi.html
公式サイト http://www.satoh-k.co.jp/ume/top.html
試聴も可能 http://www.satoh-k.co.jp/okame/catalogue.html

 公式サイトのホームページをみると、「不治の病」などと追っかけ病が表現されている。この病が、うみのむこうの人外にも伝染して、大ブームになり、うめ吉ツアー客で寄席は連日満員。ジャック・ニコルソンなんかもやってきて、血走った目で「ウメキチネェサン、 (;´Д`)ハァハァ」とかゆうようになったらかなり笑えるけどね。まあしかし、このままだと所詮はイロモノ止まりなのかもしれねぇなぁとは思う。ちょっとかわったもんみたいに消費されて終わり。種籾をも喰らう餓鬼なワールドは、バブルでちっとは懲りてねぇのかとは思うんだけどね。NHKの『バブル美術館』をまた思い出した。値段の高いときに、バッタモンも何もかももってけ泥棒と売りさばいたスイスの画商。その画商が、バブル崩壊後イイものだけを買い戻した。このはげたかぶりには一本筋が通っていて、底に絵画への見識があることがはっきりと見える。踊らされた日本の投資家が馬鹿なのだよんというかんじ。
 小沢昭一が黙っちゃイラレねぇとコメントを寄せている。「江戸から明治大正の寄席の唄を、うめ吉姐さんが、いろっぽく守ってくれています。うれしく、ありがたいことです」。このコメントも、コピーとしてHPにアップされ、消費されるわけだけど、おもしろきゃいいじゃんってところはある。ガチでやって、結局セメントサバイバーになるかどうかは、結局キャパなのかなぁとも思う。
 何言ってるのかねぇ。支離滅裂だぁ。すんまそん。