20世紀の社会学者@自分の場合

 上記国際社会学会のアンケートについて、ぢゃあおめーはどうよ?とゆうめいるがまいりましたので、考えてみますた。アンケートによると、複数あげていいわけでしょ。人生最初に読んだ洋書。二年ゼミ。担当教員浜谷正晴氏。テキスト『社会学的想像力』。やっぱねぇ。w 30年前のこと。あーあ。なにやってんだろうというカンジ。この本は、その後藤村正之氏らと研究会をしたりしました。同研究会では、バーガー&ルックマンなども読みますたが、あまり学問的に影響を受けたとは思いません。大学院受験前に読んで「ミードとミルズ」というM論、D論の基本主題を得たわけだから、ミードの『精神・自己・社会』ははずせませぬが、今の理論的見地からするとモリスの講義よりはミラーの講義『社会心理学講義』の方が影響受けたかも。院に入って、矢澤修次郎氏の講義で『社会的行為の構造』と出会いこれは社会学史理解の骨格をつくったと思われます。ウェーバーでちゃんと原典読んだのは『宗教社会学論集』と『職業としての学問』。宮島喬氏の講義で、デュルケム社会学をはじめてみっちり読む機会を得ました。宮島氏の著作と、後輩の津田真人氏の報告が理解の基調となっているわけで、デュルケムをちゃんと読んだのは東京に戻って、奥村隆氏の『社会学に何ができるか』を読んだ後のような気がします。
 こういう学問的な土台となった本に比べると、シュッツ、ゴフマン、バーガー、マートン、ベッカー、ガーフィンケル、グールドナーなどは、非常に重要な学問的な材料になっているし、特にこんとらくちおさんもいうようにマートンの聡明さ&エレガントさは、絶妙に萌えではあるものの、土台をつくったとは言いがたいかなぁと思います。もちろんマートンに憧れる部分はあるし、小太刀の名手というばかりではなく『On the Shoulders of Giants』みたいな本まで出していて、言葉を失うものがございますけれども、憧れている止まりなのかなぁとも思います。それよりは、大学院時代にシビアな先生たちにみっちり鍛えられた時のテキストである、リンドの三部作(ミドルタウン正続となんのための知識か)、ウェッブ、ホワイトなどの調査がらみのほうが影響を受けたと言えるかもしれないなぁとか思います。ヴェブレンは『不在者所有論』を一番一生懸命読みました。本能論から、欲求論を経て、パーソンズへという流れの中で理解したわけで、この読みは若き日の高城和義氏の論文から学んだ面が大きいと思います。
 こう見てみると旧世代の生き残りみたいなものであることは明白だなぁと苦笑します。ギデンズもルーマンフーコーも何も入ってこない。まあ私がどうのこうのというのは、たいした意味はないですけれども、卒論や修論を書く前にこうやっていろいろ振り返って考えてみるのは、けっこういいことなんじゃないかとおもわれますた。