ポール牧逝く

 ポール牧が亡くなった。で、ガッツさんが、談話をよせていた。ガッツさんらしい飾らないことばを読んでまず思ったのは、ビートたけしの談話がないのだろうかということで、検索したが出てこない。まあよけいなことは言わないのかもしれない。となると葬儀で、お約束「泣かせのまき子」武藤まき子に期待してしまうというのは、不謹慎に聞こえるかもしれないが、東京のお笑いを支えていたはかま満夫が「これで東京の芸人らしいのはビートたけしだけになってしまったなぁ」と語っていたのをみて、やっぱたけちゃんになにかゆって欲しいという気がするのだ。吉本風のお笑いが東京を席巻しているお笑いブームを目の当たりにしてのはかまの言説は、聞いてみたい気もするし、それが逝ってよしなものにならないためには、たとえばたけしや小林信彦みたいな人が関わりつつはかまの著作が出されたらいいのにとか、勝手なことを考えた。昨日それぞれの旅立ちをエンタテインメントとして番組化したものを見て、文士になることを銭金の問題とした悪の毒霧をふきあげた車谷長吉のエッセイを読んだちょくごだったからということもあるが、そういうガチンコの商売と徹底したお笑いの消費のなかでしか描けないものもあるだろう。
 談話を真っ先に出したのがガッツさんということでもう一つ、はなわポール牧伝説をやっていたらどうだったんだろうかとも思った。ポール牧伝説については、ビートたけしがずいぶん前に毒ガスふかしていたころに、村田英雄伝説なんかとともにさかんにネタにしていて、その辺から「指パッチン=ポール師匠」という商品化がなされ、どん欲に消費されつくしていったことは記憶に新しい。ポール師匠は、落ちぶれたように書かれてもいるけど、十分喰っていたわけだし、ぜんぜん違うと思う。焼け死んだたけちゃんの師匠なんかはもっとぶっ飛んだ人生だったわけだし、さらに言えば浅草の浪曲寄席なんかには、馬路放送コード触れまくりの身の上話をガンガンやっちゃうものすげー浪曲師とかいるし、まだいくらでも言えるけど、逝ってよしなものは、けっして語り尽くせないだろう。それはともかく、ポール師匠はそこそこ円熟であって、今でもテレビに出れば、生涯長屋暮らし献体しちゃいますた彦六師匠や、責任者出てこい!人生幸朗・生恵幸子や、老いてお達者春日三球や、どうだ名人芸いとしこいしや、そんなくらいには定番おなじみだったンじゃないかと思う。
 っつーか、まだ63歳というのは、ぶっ飛ぶわなぁ。いかりやちょーさん、萩本欽一伊藤四郎加藤茶といった一線級の多くと同年配もしくは年下なんだね。だけど、あまりにわけわかめな存在感で、なんともいじりようもなかったんじゃないのかね。とりあえず北野タレント名鑑に出ていたらどうだったろうとか、そんなことも思わないではないのだけれども。
 それぞれが世代的な思い出やうんちくを交えながら、いろいろ語ることができるだろう。私もラッキーセブンについては、相方なんかも含めていろいろ言える。しかし、訃報に接して、一番思うことは、このエントリの最初のところで書いた、ビートたけしの談話が聞いてみたいということと、はかま満夫がなにかを書かないかということに尽きるかもしれない。良識のある人からもっともらしく勝手なことをぬかしやがってというお叱りをうけるようなことをなぜ言ったかといえば、殊勝な追悼文言を言うのではなく、身勝手で貪婪な消費者としてものを語るしかないではないかと思ったということである。語ることは業の深いことだねぇと、偽悪ぶって語ってしまった愚劣を贖えるとはサラサラ思わないのではあるが。
 葬儀までをも消費しつくす魑魅魍魎な世界で、お約束武藤まき子がマイクを持って獅子奮迅で、神妙な顔のガッツさん、鈴木宗男さんなどなど、遺影は指パッチンで、いい芸だったねぇという半可通が闊歩し、それを「黙れ」と一喝するロケンロールな人たちがいて、それをここぞとばかりお腹いっぱいとがつがつ喰らう餓鬼のような消費者がいる。そうした乱痴気さわぎも一興じゃないでしょうか。しかし、「東京の芸人がいなくなった」と漏らしてしまったはかま満夫は、オトシマエをつける必要なくなくない?ってことでありますです。w