若者のドラマトゥルギー

 若者論みたいなことに関心を持った直接の発端は、社会調査第二という実習講義で大学生の進学意識調査をやったことである。すべてのゼミをまわって、2学年で1500人くらいの人からアンケートをとった。なかには「調査を拒否する」という先生もいた。自分が気に入らないからと言ってゼミテンにまで回答拒否をするのは傲慢だし、授業のあとで調査しに来いとか言えばいいのにと思ったので反論したら、「こんな紙ッペら一枚で人間がわかるものか」とその先生は言った。「じゃあ、あんたの学問で人間がわかるのか?」と言ったら、怒鳴り散らすこと。バカじゃねと思ったので、かわいそうな人だというまなざしを投げて立ち去った。こっちも相当大人げなかったと思う。全員に回答させなかったことだけを問題にすればよかったのだろうし、それより前で待っていて、終わったあと回答を求め、それでもなんか言ったら議論を挑めばよかっただけの話で、授業の時間を無駄にさせてしまったことは悪かったなぁと思う。しかし、たいして授業に出なかった私がこれだけは皆勤し、一生懸命やり、さらに集計は次の年単位も出ないのに毎週集まってやって、かつ報告書を学生研究誌に発表するということまでやった理由は、やっぱこのテーマになみなみならぬ関心があったのだと思う。
 それはなぜかと言えば、大学に入学し、北海道から九州まで、いろんな地方から来た、いろんな学生たちとであったからだと思う。受験少年院みたいな学校でゴシゴシ鍛えられ、かつまぐれ当たりの合格した私から見れば、国公立の共学校からきた奴らは、スポーツ、文学、音楽、恋愛、娯楽などなどいろんなことで比較にならないくらいゆたかな高校時代を送ってきたことがわかった。寮にいた奴の多くはカネもないし、帰省もできず、しかしそれぞれの夢を持って東京に出てきたこともわかり、一生懸命背伸びをしあい、拙劣な自慢をし、また悩みや夢なんかを語り合ったことは、「泥臭い克己心」みたいなものへのこだわりをうみだした。同じことは、岡山でまた別様の生き方をしている連中に会った時も思ったし、また現任校でも多少なりとも感じていることである。で、今日のテレビ番組覧をネットで見ていて、今夜の金曜エンタテインメントが「桜の花の咲く頃に 〜青春の別れ道〜 日本最果てに生きる高校生たち卒業までの日々▽別れ…旅立ち…北の大地の純情と青春▽母への思い▽亡き父と交わした最後の約束▽夢に向かう若者たちの涙▽決死の大学受験▽春が来るオホーツク教師の応援 。(ナレーション)段田安則」と紹介されていて、まあプロジェクトXみたいなもんかぁ?とか思ったし、クサイ感動のドラマなんだろうなぁと思いつつ、見てみることにした。

 北海道、東の果て、別海町。すぐ目の前に国後島が広がるこの町は、日本で2番目に大きな面積を持つ。人口は、約17,000人。約12万頭の牛を擁する酪農とオホーツク海沿岸漁業が支える町。その町の唯一の高校、北海道立別海高等学校。もともとは開拓者の子どもたちが通う酪農専門の高校として創立され、今でも、1学年4クラスのうち、普通科が3クラス、酪農科が1クラスという構成だ。一昨年の春、3年生になったばかりの彼らの、家族や教師と織り成す思いを背景に、昨春卒業して旅立っていくまでのかけがえのない1年間を、道東の四季折々の情景の中に映しこみながら描く、長期取材ドキュメンタリー。雄大な四季折々の道東の風景。長い冬が去って、惜しむような短い夏。町を横断してオホーツク海に流れ込む西別川。秋には鮭の大群が溯上してくる。早朝、牛の吐く息が白くなり始めると、別海町の冬は一気にやってくる。そして最果ての町に咲く桜は、決して華やかではなく、ひっそりと、そして3日ほどしか咲かない。しかし、その控えめな姿の中にこそ、美しさがある。
 今回、この長期取材、そして制作にあたったのは、「白線流し」「小さな留学生」など、数々のドキュメンタリーを手掛けた横山隆晴。別海町の自然とそこで生活する人々に魅せられ、カメラマンと二人、1年間別海町に住み込んでの取材を行った。果たして、彼の目に映った別海町とは…。

 またフジテレビがニート対策の政策ドラマつくりやがってとか、うんちくかます椰子はけっして少なくないだろう。実際小泉首相ばりに「感動した!」という人も多いだろうし、ガキに見せてイニシエーションしようとする椰子は少なくないだろう。そして、多くの視聴者は感動のドラマトゥルギーを消費して、「あーよかった」みたく思うんだとは思う。けどね、ここに出ている人たちは、とりあえず出演をオッケーして、撮影スタッフと一年をともにしたわけだし、ともかく必死に進路を目指したという素朴なドラマを利用しようとする椰子にも、それをなんらかの真実をもとめて冷笑する椰子にも、憎しみを感じることだけはたしかだなあとは思った。漁師、自動車工、看護士、酪農、航空業界、歯科医院、教員なんかを目指す人たちがいて、それを育てる先生がいて、学校があって、しかしそうういう人々をとりかこむ過酷な現実社会があってという事実は、多少のショウアップがあるにしても、一つのリアルを提示していることは否定できないだろう。しかも、それを「エンタテインメント」として、楽しんでよ、消費してよとゆっているのは、ぶっ飛ぶっつーか、一定の見識を感じますた。本にするのか、ちょっと楽しみ。