平川地一丁目@隣人13号

 今日は午前から国立に出向き、社会学史の講義をした。記録的な遅咲きであったため、やや葉桜化してきたものの、国立の桜を約20年ぶりで観た。国立駅から谷保駅に向かって道の両側に1キロ以上にわたって咲いている風景は、この前も言ったように、私の棄郷のイメージと重なる。岡山に赴任したときは、神経症が酷く、谷保駅の階段を昇るだけでも眩暈がしたものだ、桜に後ろ髪を引かれるようにして、私は旅だった。見送る人はなかったが、芝居がかった万感の思いがあったなあなどと、苦笑しながら、大学通りを歩き、所々で携帯に写真を撮った。観ようと思えばいくらでも桜を見ることはできたのであるけれども、花見は井の頭、小金井、横浜と決めているので、来なかっただけのことである。とてもむずかしい場所にある教室で、見つけ出すのに非常に時間がかかった。10年間大学にいて、かつ大学院の5年間はすぐ近くの共同研究室に出入りしていたのに、まったく気づかなかった。まあそれだけ、大学に行かない人間だったということだろう。その後成蹊で、吉祥寺タウンウォッチングなゼミ。みんな明るくて、屈託がなく、やりやすそうだ。
 大学に戻り、一休みしながら、ダウンロードした平川地一丁目「はがれた心」のビデオを観た。デビューしたての頃は、弟君のほうは兄貴の金魚のふんみたいなチビだったのが、第二次性徴を遂げ、骨骨くんになっていた。変われば変わるモンだけど、声のほうはそれなりに堅持していて、独特の作品世界を描き出していた。これは、トラウマ系、傷口みせみせ系が対当してきている今日において、それなりの流行ものなのかもしれない。はじめて聴いたときの書き込みを引用しておく。

175 名前: い 投稿日: 2003/08/13(水) 13:57 昨日日テレでレポまでやってた。佐渡島の中学生デュオ平川地一丁目。東京嫌いの暗いメロで、逝きつけの新星堂ではブースにディスプレイされていて、それが終わると男性ボーカルコーナーにおいてあったりと大プッシュで、アテクシはけっこう注目していたけど、いくらあんちゃんのほうが作詞作曲していて、弟のほうがボーイソプラノで、がきながらどこか中島みゆきチックな凄みのあるボイス、そしてそこそこに愁いのある表情で、フォーキーにシャウトするという、アテクシたちの年齢にはなかなかなかなかなコンセプトにしても、今どきこんなのが流行るんかなあーというカンジだし、インディーズで終わりかと思っていたら、秋にメジャーデビューするのね。しらんかったわ。ま、専門家の人の話によると、インディーズはいろいろあるメジャーなちゃんねるの一つになりつつあるし、っていうか一つのジャンルになっちゃったと言ってもいいし、けっしてインディーズ=アングラ、独立プロモ、自由なコンセプトというわけでもないらしいけど、まあともかくここのところけっこう深夜帯でこのデュオのことはみかけます。テレビで見ると、ただの田舎のガキって言うか、テレビ取材が街に来て、写って照れている世話ないガキってカンジだったけど、まあ歌は面白かった。プロデューサーのパペットマペットにすぎないという人もいるんだろうけど、まあこの二人を突き動かしている衝動みたいなものは、それまたパフォーマンスだと言ってしまえばそれまでだけど、そこそこ凄みみたいな表現の大きさを具現するものになっていると思う。テレビではあえて触れなかったんだろうけど、新星堂の説明によると、親御さん(おっかさんだっけな)がいなくなっちゃって、それをさがすためにすんでいた場所をバンド名にして、売れれば自分たちを見つけてくれるみたいなことがあるらしい。そんなエピソードが今どき売れるとも思わないんだけど、まあおばちゃんが買うのかななんて思うのは、ポストモダンのシャワーを浴びた世代のひねくれた意見で、実際におっかさんが見つかってウルウルっていうだけでも、ひととおりは売れるみたいなことはあるんでしょうね。まあただ、最近はガキユニットがしゅんだし、その一つと言ってしまえばそのとおりだけど、たとえ商品になっても・・・というひたむきは、なぜか胸をうつものがあります。思い入れ、希望のmyレボリューションから言うと、路上、ライブハウス、フォークジャンボリーポプコン、そしてドロップアウトみたいなカンジなんだけど・・・というのは自虐がすぎるかもしれません。しかし、弟の声がボーイソプラノじゃなくなったらどうなるんでしょうね。

 どうなるんでしょうねというのは、杞憂だったみたいだ。なんとなく藤原竜也風の学生姿ってかんじで、それなりのハンサムボーイになっていて、でもってギターでりふりふしちゃったりしている。兄貴のほうは、あいかわらずくらいイメージだけど、なんとなくこの傾向萌え系の人もいるんじゃないかっていうか、もしかしてこれショタ系じゃないよなとか、思ってしまう部分もなきにしもあらずな映像で、馬路やばい。あんちゃんは、コンビニのレジで働く労働者、でもって弟は学生服姿。これがレジで、眼と眼があったその日から、ギターを弾いて、シャウトシャウトシャウト。都会のフリーターの労働を描いているようでもあり、またなんかくらい情念がぶつかりあうようでもあった。実は、これを私は鉄人28号の主題歌だとばかり思っていた。「鉄人は武器を持たないロボットなんだ!」という、なんとなく自損な必死君のトラウマが、見えたような気がしたからだ。しかーし、みなさまごぞんじのように、じぇんじぇんちがうのね。これは、『隣人13号』のエンディングなんだな。
ゲロヤバだわな。公式サイトホムペなんか、もうバトルロワイヤルと、ジェイソンがあわあったみたいな、スプラッタなフラッシュでぴかちゅーなんだよ。この公式サイト自体かなりやばい。恐怖体験コーナーもあり。観てみるとね。わはははは。馬路すげーよ。中村獅童馬路ヤヴァイ。

  小学生の頃、ひどいいじめにあった経験を持つ村崎十三。成人し、鳶職として働くことになった彼はその職場でかつて自分を虐めた赤井トールと再会する。しかし、赤井は十三を覚えていなかった。十三は自身の中に「13号」という赤井への復讐心に燃えた別の人格を住まわせていた。十三が赤井の元で働くことになったのは偶然ではなく、13号の執念が生んだ結果だったのだ! そして、赤井が覚えていないことを幸いに十三と13号の復讐計画が始まった。赤井を殺す計画が露見しそうになるたびに殺戮を繰り返す13号を、十三も抑えることができない。一方赤井は、自分の周囲に危険が近づきつつあるのを感じ、精神的に追い詰められてゆく。13号の復讐心はおさまることなく怒りに燃え続け、赤井の息子・勇気、妻・のぞみまで狙うのだった。そしてついに赤井を限界まで追い詰め、直接対峙するときが来て…。 逃げ場のないバイオレンスがループするハードコアコミック、降臨!
http://www.gentosha-comics.net/topics/rinjin13/

 もちろん忙しくて、吉祥寺バウスでやっているにしても観ていないわけだが、この最後に「はがれた心」ってぱんくすぎねぇかな。しかし、弟は、藤原竜也のようでもあるが、中川家兄剛のようでもあるね。まだやってたら久々に(まあ!!)映画でも観てこようかなぁ。