『赤目四十八瀧心中未遂』

 明日Project_Yの研究会で報告するレポートを青息吐息でようやくなんとかかたちなりではあるもののレジュメをつくり、ほっと一息して、朝からなにも食べていないことに気づき、急に腹が減ったので、のんびりとメシを喰らい、そしてとりあえず借りておかなくちゃと思って借りておいた『赤目四十八瀧心中未遂』を見ますた。言うまでもなく車谷長吉原作小説の映画化。ジャケツ見てオフィーリアみたいになっているから、まさか筋かえてねぇだろうなと思ったが、心配ご無用であった。以下、ネタバレなことも書いちゃいますから、ご注意を。

赤目四十八瀧心中未遂 [DVD]

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 あ、さて(下衆ヤバ夫風に)、人生に絶望した「贋世捨て人」の大学卒の生島ちゃんが、釜ヶ崎経由で「尼崎=アマ」にやってくるわけね。生島ちゃんは、絶望的な状況でもつに串とか刺しちゃったりしている。雇い主のやきとりやのおばちゃんが、伊賀出身で元パンスケだったりして、筋金入りのすげぇ姉さんなんだけど、大卒の生島ちゃんにちょっとおそそがもいすちゃーだったりするわけ。生島ちゃんは、もう逝ってよし気分だから、はあとかゆって純情気どっているわけだけどね。生島ちゃんは自分なりに逝っているつもりが、「あんたはアマで生きて逝ける人じゃない」とか、みんなに相手にされないワケね。生島ちゃんのとなりの部屋は、ドムな形状のおばちゃんパンスケで、原作では女陰を舐めさせながら念仏となえるのが有名だと思うんだけど、こっちの方はまぐわりながら柳亭痴楽のような山手線駅暗唱。お客のパワフルなグランドがまたすげぇ。凄みのある彫り師が、両刃剃刀をヒュンと投げて、トリの目に命中させるシーンも忠実に再現している。この情婦が、生島ちゃんとできちゃって、で、ムショ帰りの馬鹿アニキのために博多に売り飛ばされちゃうことになり、赤目四十八瀧で氏にましょうということで、メシ喰ったり、ホテルでまぐわったりしながら、赤目に向かい、結局氏にきれず、女は博多に売り飛ばされ、生島ちゃんはおめおめと生きる。とまあ、筋立てはほぼそのまんま。
 「あんたはアマで生きられる人じゃない」「見てるだけで満足してるんじゃないわよ」「違う世界につれてって」「女の方が強い」など印象的で、伏線的なセリフが折り重なり、剃刀、入れ墨、ガマ、口紅、脱ぎ立てパンティー、モツなどの映像、尼崎の裏町路地裏の風景、天王寺阿倍野界隈、通天閣じぇんじゃん横丁の情景、そして彫り師ロケンロール内田裕也焼鳥屋のおばちゃん大楠道代、売り飛ばされるねぇちゃん寺島しのぶ、生島ちゃん大西瀧次郎などが演じる人物が折り重なり、幻想的に変幻しながら、ラストシーンに向かう。不幸な逝っちゃっている人々は、キャラメルを食べてしょんぼりする。そんな思い出を話したねえちゃんは、口に入れたキャラメルを生島ちゃんの口に入れて立ち去る。生島ちゃんは、よろけながらキャラメルを口にくわえ、はぐはぐしながら、車窓の別れに馬鹿面さらして呆然と立ちつくす。笑ったのが、生島ちゃんは最初にねえちゃんとまぐわったときねえちゃんが脱ぎ捨てたパンツを新聞紙に包んでずっともっているのね。で、氏ねなくて、ねえちゃんと別れたあと、なんと心中道行き前に入らない荷物を放置したコインロッカーにそのパンツをとりに行くの。で、包みを開けるんだよ。もう無様の極地でしょ。これは。この作品世界を「ハードボイルド」と形容した福田和也は、そのことだけで理屈抜きには私は全肯定したい気分なのであるよ。
 すみずみまであてずっぽじゃないくふうが折り重なっている。てんぱったやくざな椰子らがたくさん出てきて、それぞれにどーしようもねぇ。『ぼくんち』のこういちくん状態。しかし、たけしちゃんと両親にはぶっ飛んだ。氏んだむすこのたけしちゃんのかわりに、オリエント工業がつくったみたいなショタ少年マネキンつれたぢぢい、ばばあが、テンパって拝んだり、遍路したりもうめちゃくちゃ。大阪だし、なんかいいのかなってかんじはする。生島ちゃんは、ガキに石を投げられ、けがをする。オレも堕ちたもんだと、けっこういい気なモンな生島ちゃん。ガキをかばってみせたりして、裕也さんに一括されたりしてやがんの。w でさ、ボクには健康保険などないとか、逝ってよしな自分にウットリする。だけど、傷口が化膿して、そこにウジがわくまでほっておいたりはしないし、水で洗って塩とか酢をなすりこんだりするわけでもないの。旧知の医者かなんかにただで見てもらうんだよ。大笑い。しかも、帰りに焼鳥屋のおばちゃんに京都で匂い袋を買うんだよ。心中逝ってきますがきいて呆れるっつーわけね。アマの人はみんなお見通し。
 尼崎の裏通りの風景は、実家のある横浜野毛日ノ出町界隈の風景と重なるところは多い。飲み屋や、ボロアパートや、いろんな登場人物の映像は、そのニオイまでリアルに伝わってくる。どぶ川や、下水や、立ち小便や、残飯や、なにやかにやの混じりあった、歓楽街の香りは、懐かしさすら感じる。特にモツはリアルだ。うちの裏は、焼き鳥というか、ホルモン焼きの店だ。おじさんとおばさんが仕込みをやっている時などに、勝手にのぞき込んで、しゃべったりすることもある。丁寧に切りそろえたモツ焼きは、小ぶりだが、新鮮で、形状もグロテスクなものは一本もなく、祝い事や来客の時にはデリバッてもらって、よく食べたものだ。
 だからどうだ?そう聞く人は、実にうれしい人だ。そんなことは救いにモナにもなりはしない。なんで『赤目』を何度も読み返すのかといえば、やっぱ岡山から帰ってきたということなんだな。しかも、ちっともとけ込んではいないわけだよね。だから、私社会学を志向するわけでもあるんだけどね。とほほ。