ファイティング原田

 部屋を整理していたら、『ナンバー』などから出ているボクシングや競馬のビデオがたくさん出てきた。どれもなつかしかった。少しずつ見てみようかと思っているが、一番先に見たのは、ファイティング原田である。長嶋茂雄力道山とともに高度成長期の日本人を励ましたヒーローであることは、多言を要しないだろう。剃刀パンチの海老原博幸、メガトンパンチの青木勝利と三羽がらすと言われた。自分のコブシを骨折させてしまうパンチをもった海老原、天才型で練習などしないと公言した「少年院あがり」の青木に比べれば、上京組の猛烈な努力型、米屋の小僧だった原田のラッシュ攻撃は、いささか官能美に欠けるものがあるわけだが、これが多くの人々の共感を呼んだ。後楽園ホールHPに掲載されているインタビューで、協会の会長をつとめる原田の回想は「ライバル」を語っている。原田のことばは、時代的共感を素朴に、しかし的確に要約していると思う。

 あの時代、海老原博幸(世界フライ級チャンピオン)、青木勝利(東洋バンタム級チャンピオン)にぼくを加えて3羽ガラスと呼ばれたんです。この3人の中では、素質的にはぼくがドンケツかもしれません。海老原はスピードがあって、とにかくパンチが切れました。青木はドスンドスンと響くような重いパンチのハードパンチャーでした。そのパンチのすごさは、それぞれ『カミソリ』『メガトン』と呼ばれてね。ぼくにはそういうパンチがありません。最初のころは観客動員でも、彼らに勝てませんでした。でも、だからこそ負けたくなかったんです。
 海老原と戦ったのは、後楽園ジムで行われた東日本新人王戦決勝(1960年12月24日)でした。やはりパンチが強くて、ぼくもぐらつきましたが、2度のダウンを奪って勝つことができました。青木と対戦(1964年10月29日)したのは、ぼくがバンタム級に転向してからですね。彼との対戦でも初回にいいパンチを食ったんですが、3回でKO勝ちしたんです。
 よく憶えているのは青木戦です。実はこの試合だけは、どうしても負けたくなかったんです。彼は練習嫌いを公言していました。ぼくとの対決が決まったときも、練習しなくても3回までに勝てると言っていたんです。だから、ぼくも3回KOを予告しました。予告KOをやったのは、あの試合だけです。
 とにかく「ボクシングはそんなに甘いものじゃない」と思っていました。もし、彼が練習もしないでぼくに勝ったら、一生懸命にがんばっているほかの人はどうなる、ボクシング界のためにならない、とそう思ったんです。もちろん、その時点ではそんなに大局的に物事を見ていたわけではなく、ただ自分が勝ちたいという一心だったのかもしれません。あとになって、さまざまな感情が入り混じってそう考えるようになったんでしょう。ただ、確かなのは、最後にはより努力している者、苦しんだ者が勝つ、ということを、ぼくの手で証明したかったということです。
 ・・・自分には、青木や海老原に比べて、足らない部分があると切実に感じていました。足らないものは、練習で培うしかありません。だから彼らの1.5倍は練習していました。さらにその成果を表すには、試合で勝つしかありません。
http://www.tokyo-dome.co.jp/hall/interview/fighting_harada/page2.htm

 原田の試合をビデオで観ると、たしかにものすごいパンチがあるわけではない。「狂った風車」と海外で形容されたというが、大場政夫のような悲愴な美があるわけではなく、イナカモンがしゃにむに撃ちつづけるというカンジ。しかしすごいのは、原田はともかく15R撃ちつづけるんだね。これはものすごい。ビデオのインタビューで原田が「練習したもん」と言っていたのが印象的だった。たしかに練習しないとあそこまでは撃ちつづけられるわけがない。
 しかし、黄金のバンタム=ジョフレからタイトルを奪い、防衛戦でもジョフレとやって、ロープ際の魔術師=メデルとも防衛戦をやっているというのはあらためてスゲーと思う。ジョフレはトンデモねぇ連中とやって勝ち続けた人であり、リアルタイムボクシングランキグのバンタム級で、オリバレスだとかすごいのがひしめき合うなかでずっと一位を保っている。リアルで見たのは小学校の頃だし、そんなにはっきり覚えているワケじゃないけど、自宅にはまだテレビがなかったのか、となりのペンキ屋さんのうちでみて、家の人たちや、職人さんたちが、ともかくジョフレは凄すぎみたいなことをゆっていたのは記憶に残ってる。今見ても、軸はぶれないし、懐が深く、長いリーチで、相手のボデーや顔面に的確にパンチをたたき込む。しかもパンチは凄いパンチ。青木勝利は、ぶっ飛ばされて、激烈にノックアウトされた。馬路ホントにスゴイと思う。んなものに、撃ちつづけるだけのあんちゃんが勝てるものかというのが、おおかたの予想だったろう。通ぶったことをいうわけじゃないけど、原田はディフェンスも凄いんだな。しゃにむにいくわけだけど、けっこううまくハードパンチをかわしている。ジョフレも最初はびっくりしたんじゃないの。で、まじかよとか驚いているうちにアッパーもらって、狂った風車の乱舞。オヨヨと思いつつ、まあこんなものと思っていたと思うよ。あれだけラッシュされても、倒れねぇんだもん。むしろ懐にかかえて、そこから反撃するの、タコみたいにピョコピョコハードパンチが原田をとらえ、かなりやばいところもあった。でも原田は撃ちつづけて勝った。
 勝敗はわかっていても、ぶっ飛んだ。で普通やめるでしょ。二度とやらない。しかし、原田は、指定試合なのかなんか知らないけど、やるんだよね。ジョフレと。しかも、すげぇのは、2度目はきっちりけじめつけたみたいに、こてんこてんにやっつけた。しかし、これほどの人がなぜ、ライオネル・ローズなんかに負けて、かつEHエリックのできそこないみたいなファメンションの格闘技紛いのダーティーファイトに屈したかはわからない。判定ももちろん問題だが、ぶったおせなかったのは残念だ。しかし、時代のヒーローというけど、なんでこんな典型的な人が出てきたのだろうと言いたくなるくらいの存在が原田だ。高度成長期のガンバリズムそのものである。