矢沢あい原作『下弦の月 ラストクォーター』

 今どき若者のスタイリッシュというとやはり矢沢あいなのであって、とかくマニアックネタに流れるこの手の言説なのであるけれども、やっぱだいじなのはメジャーをちゃんとみなキャってことで、一応見てみたわけだけど、かなりというか激やばく出遅れているので、いかんともしがたいものがあり、日本国民萌えまくり、さかりまくりの作品の出かかりを先物買いしていたくらいのマニアックさは、フォローしているという執着のカンフル剤として重要かなぁと思う。「18年に一度の奇跡」「ラストクォーター」というモチーフが、どのような映像として出されているかに注目しながら観た、とか言うけど、もちろんビデオだよ。ニャハ。筋立てなどは、ヤフーがサービス満点に紹介してござる。
http://event.movies.yahoo.co.jp/theater/lastquarter/
 演劇、紙芝居、CG、マンガ、アニメなど手法をまぜまぜにして、どうだエクスパンデッドだぜみたいな気迫は伝わってくるし、たぶん映画館で観るともっと映像がぶっ飛んで、フルクサスだ、サイケだ、トリップだ、トランスだみたいな理屈がつくのだろうし、随所にアレゴリーだ、パスティッシュだなんだかんだという修辞的な理屈もちりばめられており、それぞれがマンガなうんちくとも呼応して、矢沢あいなスタイリッシュがはじけていて、矢沢萌え系には垂涎なものを訴えかけつつ、ハイド、成宮など萌え系底引き網トロールしまくってやるぞな配役もあり、なんとなくとっ散らかっていて、むかし玉三郎さんが奇々怪々泉鏡花な夜叉が池をやったときのぜんえー的映像などを思い出し、アレはイグアスの滝だったけど、こんどは静謐な下弦の月のもと、ナイアガラかビクトリア瀑布登場して、歌舞伎まくりのラストだったら核爆だよなとか思ってみていたけど、実はけっこう感心して、それなりの残像を得たことは、観てよかったなぁという思いです。監督がミュージッククリップ出身というのもよくわかる。もちろん辛口のコメントをする人は多いだろうなぁとは思います。実は、ビデオなどを借りる前に最近けっこうチェキしている、「ネタバレ映画館」などは、激辛なコメントをしています。このうんちくはなかなか傑作であります。

 栗山千明は映画での生存率が低いらしい。『バトルロワイアル』では登場から55分で死亡。『キル・ビル』では登場から22分で死亡。『死国』では最初から死んでいる・・・不覚にも、この映画でもどうなることかとハラハラしてしまった(笑)/しかし、脚本が恐ろしいくらいにつまらないものになってますね。19年に1週間だけ同じ形になる月という素晴らしいテーマが生かしきれてないからだ。そして重要な音楽が・・・幻想的にリバーブかけてごまかしてあるが、単純なコードと単純なメロディ。「この曲を弾くためにピアノを習った」というふざけた台詞に吹きだしそうになってしまった。ジョー・サンプルの曲をドビュッシー風に味付けして、単純にしてしまったという感じだろうか。/一番問題なのは、さやかというもう一人の女性が美月と融合してしまっていることなのでしょう。霊の存在を信じない者にとっては、幽体離脱プラス19年前の霊という派手な設定にはついていけず、見えてないはずの三浦君にエールを送りたくなった。/マイナスだらけの評価になってしまったが、栗山千明の魅力や及第点の演技力(HYDE除く)、「自殺はよくない」という主張、最近あったばかりの月食(微妙に日はずれている)、わざとらしいけど指輪の伏線等、真面目に取り組んでいたことが評価できます。/ところで、峰って、まだあるの?おっさんくさいタバコだけど・・・

 たしかに、一方は成仏できない霊になった女性と、交通事故で三途の川を逝ったり来たりしている女性→なぜか2人は三途の川で行き交い合体→一方の恋人=ハイドあとを追う→2人はハイドに萌え萌え→成宮対ハイド→いざ勝負勝負!となると、なんなんらーこれといいたくなる部分もありますが、問題は作品世界のリアリティでございましょう。けっこう印象的な残像が多数あります。特に謎解きをしてゆく白石蛍と三浦正樹の2人が、制服姿やいろんなファッションで連れ立って歩く姿はすごく「少女まんがてきな絵」をあらわしているように思った。栗山千明を一瞬小向美奈子と思った私はアホだったが、まあその栗山と成宮の恋愛模様の心象風景も、具体的なオブジェであらわされ、その逐一がまんがてきで、かつ性欲がぎらついていない。おっさんたちと集団自殺したグループに女子中学生が混じっていたとか、スゲー傷つきやすくて、はれものにさわるようにしていて、だめだめで、へなちょこで弱いものがそこにはある。
 それを支え守るがしっとしたものがあることについては、かなりクラッシックな図式でなんだなぁという気もしないことはないけど、その役回りの成宮もバンドの練習嫌いで、浮気しちゃったりするダメダメ君だったりして、またハイドもうじゃじゃけた椰子といえば、うじゃじゃけた椰子だ。それなのに、とてもスタイリッシュにかっこがよく、それなりにポップで、キラキラしている。国会での性教育のあり方が話題になっているけど、質問する側も、される側も、ヤジを飛ばす側も、ライスやブッシュのイメージと重なり、すごい猛々しい凶暴なものに思えてくる。サリンジャーの繊細な細工物のような世界を観て、粉々に踏みつぶしてやりたいという人には、同じような破壊衝動を感じるかもしれないなあと思った。私は親ぢだし、けっしてこの作品や矢沢あいのマンガのなかみについて、知った顔をして、学生たちと話したいとは思わないけど。
 ともかく、−−手法は饒舌なのに−−なんとも言えない寡黙なものを感じた。そこに「下弦の月」は具象されているのではないかとも思ったが、結論は出ない。ハイドは演技ができなかったのかもしれないけど、w それに限らず、セリフがすごく少ない。小津作品とも、市川(準)作品なんかとも違う、「間」が心地よい。マンガの空白を楽しむような快感に近いものを感じた。三浦正樹役の落合君はなかなかかっこいい。お墓にタバコ(峰)をそなえて「日本の味がするかもよ」には、激ワロタけど。ロッカーズ陣内つかって、作品世界をゴフマン化下意味合いについてはイマイチわからじ。
 手法の饒舌さはどうなのだろうか。そのむかし、安部公房が、ヘンリー・ミラーノーマン・メイラーを比較し、後者を目の敵にしていた。細かな描写が半端でシュールじゃなくダメだというのだ。もっと逝く道逝ってよしということなのである。そんなことに照らしてどうのこうの言うのは、ばかくせぇけど、非常に困難な作品化において、大胆な野心を魅せたことの結果はどうなのだろうということだ。半端という人もいるのだろうが、私はすごくいい印象をもった。昔はよかったじゃなく、今はいいなぁと少しだけ前向きになれた気もするし。