私の家は、職人気質でお誕生会だとか、クリスマス会だとかはしゃらくせーということで、あまりなにもしてもらったことはない。だから、バレンタインデーという日について、他の人々とは違い耐性は非常に強いはずなのであるけれども、それでも中学時代くらいから、根岸線のホームでチョコをもっている女子学生などをみかけると、ルサンチマンがマグマのように全身で煮えたぎった。横浜の石川町は女子校が8校くらいあることで有名な駅だ。私の通う学校はその一つ根岸よりの山手駅にあり、思春期の学生にはじつに鼻血ブーな路線なのである。前に話したかもしれないが、女子校は石川町根岸よりの出口から降り、私たちの男子校は横浜よりの出口から降りる。
畢竟下り電車の前よりは女子高生と軟派なウチの学校の奴らが、後よりは硬派とまじめともてない男が多かった。桜木町は当時根岸よりの階段しかなく、電車に乗り遅れると遅刻してしまうようなときは、前のほうに乗らなくてはならない。萌え萌えなはずなのが、クソみっともない動揺をみせ、カチンコチンになって石川町までの時間を過ごす。この通学の情景は、トラウマなまでに思春期の繊細な心に刻み込まれる。先輩の小田和正は、秀逸な詩句に表現し、アルバムに入れていることをあとで知り、血涙ものの感激を覚えた。一度バレンタインの日にこの車両に乗り込み、「ちがうちがうそうじゃない♪」と鈴木雅之の歌みたいな心理になり、とてもみじめな気持になった。私は、たいして勉強のできない内向的な少年だった。
そんなサイテーな状況にあった者も、一定の年齢になれば、義理チョコの一つや二つはもらえるようになるものである。これは声を大にしてゆっておきたい。カンニング竹山が、小林薫容疑者っぽく、ナンシー関な私であっても、もらえるようになるのであるとゆっているわけで、これはすごい説得力があるだろう。勇気がわくだろう。まして、一定の社会的地位というようなものができれば、もらえるんだよこれが。ただね、プライドの高い人間はさ、そんなのじゃヤダとか、思うわけだよね。でね、もう一つ声を大にしてゆっておけば、義理と本気は紙一重って場合も、たまにはあるということである。まして、人間「魔がさす」ということがある。珍獣にハードボイルドな明日がないと言い切れるだろうか。
高校時代とかのこともあり、もらえるようになってからも、私はこういう儀式はあまり好きではなかった。だから−−この話は前にも言ったと思うが、−−バレンタインデーに岡山のテレビ(モーニングKSB)に出たことがあって、そのときに、「生活習慣病のおやぢに、チョコを贈るなんざぁ言ってみれば緩慢な殺人といっしょ。殺意があるんぢゃねぇか?」とかゆったんだな。そしたら、けっこううけた。でも、以来学生はくれなくなった。岡山の学生さんは、けっこう教師との距離が近いから、教師ももらえたりするんだよね。で、私もそれなりにもらっていた。ただ、他の先生が10個入りとかなのに、私のはどこでみつけてきたの?というような2個入りだったりして笑ったけどね。「義理中の義理」ってことが、個数で能弁に表現されていたのには笑った。他にも「道場」「人情」「憐憫」などのシールを貼ったやつをいただいたこともある。
女子大は、他の先生は知らないけど、赴任以来ほとんどもらわない。非常によいことだと思う。一度、上のテレビの話をしてたら、こんなのあったと買ってきてくれたのがいて、それは薬のビンに「毒」とかいてあり、なかにチョコがあるんだね。よく見ると「青い海」という字を細工して、「毒」が浮き立つようになっている。青いから硫酸銅みたいなやな感じにみえる。いっしょにサントリーオールドのボトルがパンツ履いていて、股間に進入禁止と張り紙があるのと、あとウィットウィット@ワールドダウンタウンみたいなほれ薬チョコも買ってきてくれた。まあこれは、若者文化研究の資料みたいなノリで、資料提供の対価はきちんとお支払いしました。
ただね、はっきりわかることは、バブル期はけっこうもらう数が多かったという、じつに酷薄な事実である。この機会にいろいろ検索してみたりしたけど、やっぱ懊悩は、義理ではなく本気をもらうことみたいだな。けっこう今の若い子たちは恋愛的には、われわれの頃と違い、すごくススンデイルんだと思う。それだけに、悩みは深刻なのかもしれないね。
しかし、ゼミの椰子とかに聞くと、もらえないのもなんだけど、あげたら目の前で捨てられたとか、まあこれは極端にしても、やる方もそれなりの苦労はあるみたいだね。そんな話が普通にできる今を、私はけっこう(・∀・)イイ!!と思っている。今年いくつもらったかって?もちろんゼミとかではゼロだよ。