ローカル岡

 笑点を久々に見ていたら、高校野球常総学院の監督みたいな椰子が漫談やっていてかなり面白い。「やるときはやるよ」とキメの一発芸もある。絶好調のアンタッチャブルもないのにさ。w ネタ的には歌謡曲の歌詞をありえないとか言いつつ、斬る。きみまろに続き実年ヒーローつくるってことかしらね。日テレ大プッシュ状況なのかしらね。そう思ってぐぐりますた。60歳、芸歴38年。すごいっすねえ。しかし、はたして茨城出身。略歴「昭和58年三田宗司と歌謡漫談「ザ・ローカル」を結成。平成7年 ローカル岡で独立、世相漫談。平成13年NHK笑いがいちばん」「真打競演」「TV演芸まつり」TBS「ラジオ寄席」か多数出演。平成15年漫談CD「やるときゃやるよ」発売 平成16年日本テレビ笑点」出演ほか」。ウーン、かなり前からプッシュされていたのか。やっぱテレビ見ないとだめだなあと、しばし反省。おそらくこういうのが好きな人には、禿げしくがいしゅつでございましょう。
 それにしても、1983年から「ローカル」でやっていたのはすごいと思います。「やるときゃやるよ」ととぼけた表情で言うのは、ようやく時宜をえたちうことかもしれませんね。

茨城弁でボソボソ語り ローカル岡の人気上昇
▼神津友好さんが選ぶ もう一度見たい、おもしろ芸
げっそりやせて頼りなげな風情、茨城弁のボソボソ語り。寄席のベテラン、ローカル岡(60)の人気が、なぜか急上昇中だ。「漫談家になるぞ」と茨城県から勇躍上京したものの、1965年の芸界デビュー時は漫才だった。その後、ボーイズ芸の「シャンバロー」に参加したり、再び漫才を始めたり。念願の漫談家として独り立ちしたのは、30年後の95年。ここから、遅咲きの花が開き始めた。
 漫談家のルーツは大正時代、活動弁士の出身だった徳川無声、大辻司郎あたりになるという。たった1人で高座に立ち、世相のあれこれを面白おかしく聞かせてくれる。ギターを持てば、ギター漫談、三味線抱えて三味線漫談など、バラエティー豊かだが、最近は「マイク1本、何も持たず」という本来のスタイルが少なくなった。
 「漫談で思い浮かぶのは、故・牧野周一。都会的でスマートで、時事問題をチクリとやった。ローカルは正反対。茨城弁が売り物で、泥臭く庶民的なの。いわば“体臭演芸”ですよ」
 演芸作家・神津友好さんの分析通り、ローカル岡の芸はきわめて人間くさい。
 「(尻上がりの口調で)家庭内暴力があったら、夫婦でも1年間は5メートル以内に入っちゃいけないんだっけ? そりゃ広い家はいいよ。オレんちなんか、5メートル離れたらベランダの外だよ」
 痛烈な風刺も、微妙な社会問題も、茨城弁のオブラートにくるめば笑いに変わる。
「この道39年だけど、どこでも笑いがとれるって自信がついたの、この2、3年だよ」寄席出演は年間500回以上。綾小路きみまろの次は、ローカル岡ブーム?(長井好弘
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/culture/cu040317.htm

 やっぱ読売も大プッシュ。神津さんはこのほか、はたのぼる、原一平、ひびきわたる、小さん師匠などを見たいとゆっています。それより、現在末広亭に出ているということで、20日までに見に行ってみるかなぁと思ったりもしました。