マッサージ&ヒーリング

 なんかどっと疲れが出たカンジではあるが、しかしけっして不快な気分ではない。充実した気分もある。折しも、原稿の2校があがってきていて、クアハウスでのんびりしてマッサージでも・・・って気分だが、なぜか大学でパソコンをいじっている。Vita Nova の『オーパス』を持参して、パソコンで聴きながら、ちょっとお仕事。「青い風」の疾走感は、東京エスムジカの「月凪」のような、ふわりふわりたゆたうようなものじゃないけど、弦楽器の奏でるコアヨーロピアンフォークローレな人や山の心象風景のなかを、笛がひょろひょろと心地よく響くのは、実に心地よい。「きみとやまにのぼれば、青い風が吹く」という素朴な歌詞も、実に(・∀・)イイ!!。こんなのを聴きながら、クビや、肩や、肩胛骨の上のあたりを揉み揉みされたらいいだろうなぁと思ったりもするが、健康ランドへ逝く決断がつかない。
 ちょいとマッサージのことをみくしにかいたら、学生たちが「私は常連」「私も逝った」「ベトナムでは逝きまくり」などとレスをつけ、若いくせによぉ〜などと思ったりもしたものの、そーいや最初のゼミ生と追い出し一泊飲み会@荻窪健康ランドでも、みんなマッサージマッサージとかまびすしかったなぁなどと思ったなあなどと思いだした。ヒーリングやなんやかんやがブームなわけだし、やっぱ基本はマッサージだよなぁなどと思ってみたりもする。いろんなその類が、精神世界やニューエイジなものと結びついていて、そんな動向はへなちょこで、泣き虫で、それなりに直向きな若い人たちの姿と重なり合ったりもする。それを丸抱えの安逸と叱りつけるのが、私たちのつとめなのかどうかはわからない。むかし、うちに遊びに来たうちのぢいさまの兄弟弟子の左官職人と話していたとき、私が「肩こった」と言ったら、突然烈火の如く怒りだしたのを思い出す。あ、地雷踏んだと思ったし、はいはいときいていたが、「俺は若いやつがそう言うことをいうのが一番嫌いだ」とシャウトしていた。父権、正義など、イヤな言葉で括りたくなる半面、似たようなものに触れるときに、同様の感情に襲われることがあることは、否定できないでいる。
 荻窪の「なごみの湯」には、「タイ古式マッサージ」というのがある。私はこれとあかすりをすごくやってみたいが、なかなか決断がつかない。あかすりは大量にあかがでたらすごく恥ずかしいからだ。「古式マッサージ」の店では、「ジャップカサイ」できますかと聞きたくなるからだ。痛い痛い足裏などよりは、数段効きそうな気がするのだ。ジャップカサイ。きゃんたろーくんの、筋や管の一本一本をもみほぐし、またツボを刺激するとしたら、すごく疲れがとれそうな気がするし、力がみなぎってきそうな気もする。なら、ジャップカサイ屋に行けばいいわけだが、どこがちゃんとした店かはわからないし、ネット調べてもわからないからである。