「私は泥沼ですよ」

 修士論文提出最終日。社会学専攻生はまだ一人も出していない。昼前に院生室に見に行く。4名のうち2人は余裕で、仕上げに入っていた。うちのゼミの椰子と、ゼミに出ていた椰子の2人がまだやっている。「みんな楽勝だな!!」と声をかけたら、パソコンに向かっていた一人がヌラーッとふりかえり「私は泥沼ですよ」とゆった。いつもは無口で大人しい椰子の顔は紅潮、目は据わっている。口調は静かであったが、絞り出したような魂のシャウト一閃!!(・∀・)イイ!!。鬼ワロタ。わはははははは。馬路むかついてやがんの。で、聞いたら、昨日指導教員の先生に指摘された点はもうすべて直したのだという。だけど、自分でまだ納得が行かず「最後まで頑張る」とかゆって、節タイトルを変えるか、本文を書き換えるかで悩んでいた。まわりの椰子らも「できることは手伝うから」とかゆちゃっている。
 こういう真面目すぎる椰子が、出せなかったりするのだ。先生に指摘されたポイントは直したのだから、まんまで出せばいいのだ。しかーし、けっこう怒られたみたいで、向上しようとしている。これは否定するつもりはない。いいことだ。だけどさ、直前になって納得というのはちげーんじゃないかということだ。残り四時間なんだよ。細かい図表、ページなどなどの確認は存外時間がかかる。印刷も時間がかかる。コピーしていて、〆切に遅れた要領の悪い椰子もいた。だからさ、ちゃっちゃっとやっつけたら、ちゃっちゃっと出せばいいんだ。自分のゼミの学生ではないが、「出し遅れたくなかったら、30分いないに作業をうち切り、仕上げて出せ」と命令口調で言った。お節介だったかなぁと、ちょっと反省した。
 で、まあ出し終わった頃、また覗きに行った。睡眠不足と安心感でみんなぶっ倒れている。顔色の青い椰子もいる。「まだ半分終わっただけ、面接があるぜ」と言ったら、みんなイヤな顔をした。「なんかさ、こういうギリギリの緊張感ってよくないか?終わっちゃうのがもったいないような、はらはらどきどきの緊張感って、心地よいではないか?まあ、早く楽になりたいというのは、ちょっと才が足りないカモよ」みたいなことを言った。早く楽になりたい。適当に帳尻あわせてかっこつけておけばいい。あわよくば、添削にかこつけて、手伝ってもらう。こんな甘っちょろい椰子は、差別的に才能が足りないと罵倒したいし、それだけは絶対に許さない。「人の不幸は蜜の味だなぁ。へへへ」と嘯いた。しかし、みんなガッツ出して、面接の準備に入った。うちのゼミの椰子は、明日朝五時から、アルバイトのテレビ取材(CSの製作スタッフ)らしい。けっこうやるもんだと見直した。睡眠不足でふらふらなのに三時起き。実に(・∀・)イイ!!。なんだかんだ言ってスポコン世代なんダヨなぁ。とほほ。