大学院問題によせて

 今週は卒論面接の週となり、各ゼミ慌ただしい。おまけに明日は修士論文の〆切ということもあり、大学院生もピリピリしている。今日おそくまでかかってできなければ、吉祥寺のデニーズかなんかで、臨戦態勢になるという話も漏れ聞いている。あっちこっち歩いていたら、卒論面接に来ていた椰子らの中に、昨日の大学院入試をブッチした椰子と、受けるとゆっていて願書ブッチした椰子の2人がいた。「やめるなら受かってやめればいいのに」とちょっかいかけたら、「いやいやぁ〜」とポリポリしている。進路はボヘミアンだし、まあ授業料と奨学金借金のぶん得したとも言えるのかなぁ・・・。「昨日の面接だけどさ、受けたチミらの友だちは、まじめな先生方を前に、ポルノだ、やおいだ、ショタだと連発して、まあ大まじめな話題にしてもけっこう笑えたぜ。しかし、コミケのこと説明するときだけは、なぜか気を遣って“同人雑誌の展示即売会”とゆっていたのはもっと笑ったけどな」などと話して盛り上がった。女子大のセクシャリティ研究会設立と関わった椰子ら、そしてフランス逝ってきますってなかんじの、カンサンジュンヲタで、まあそっち系のイベントとかも担っている椰子らだろうし、本もよく読んでいる。こういう「正しい社会」では生きにくそうなちょいとイカレタ完成の連中のアジールとも言うべきが大学院で、正直「勤めたくないから進学した」みたいなのも多く、そのうちやる気になって・・・みたいな雰囲気もあり、まあそれが学生運動の季節の残り香のようなものだったのかもしれないし、また奨学金の金額は今とそれほどはちがわなく、かつ授業料がものすごく違う(当時は月3000円〜月8000円程度)ことで、誰でも気軽に進学できた。そんな椰子らは、今はつらいだろう。
 にもかかわらず、大学院は人を求めている。うちの場合は、女性学を学びたい社会人だとか、△行政に関わる人々の育成機関としては意味があると思う。ただ研究者志望の場合は、かなり厳しいことを言うし、受けてもオトしたりする。それはそれで努力だと思うが、大学規準協会の審査などを受けると、そういうモノはマイナス評価され、文書での回答を求められたりもする。私は、スタッフ一同の誠意ある対応(=節を曲げず安易に入れない)に経緯をもっている。・・・なんてことを考えながら、ネットサーフしていたら、id:shinichiroinabaさん経由で、id:kaikaji さんのカキコと出会った。

 浅羽通明が、たしか『教養論ノート』の中でこんな議論を展開していた。昔から芸事とか趣味の世界というのはその道に通じている(はずの)一部の玄人(胴元)が、彼らのように「なりたがる」広範な素人衆から金を巻き上げるあげる一種の「ねずみ講」システムである。で、(特に人文系の)学問の世界の仕組みも実は基本的にはそれと同じのだが、ただ他の芸事などと違うのは、学問の場合社会の中にその「ねずみ講」的構図を隠蔽する巧みなシステム、つまりあたかも学問や研究自身の有用性や権威が世間とは独立した価値として存在していて、胴元たち(=知のスター達からフツーの大学教授まで)は、あたかもその価値に貢献しているから生活を保障されているのだ、というように見せかけるシステムが公権力によって作りあげられていることだ、と。

 もちろん、今の日本において、そのような「洗練されたねずみ講」のシステムにほころびが生じ始めていることは周知の事実である。その中で、「十分な才能に十分な努力がプラスされていながら報われない」若者が、他の芸事の世界と同じようにこの業界でも量産されつつある。

 というわけで、芝居のようなよりシビアな芸事の世界で「才能+努力がきちんと報われるれる仕組み」の可能性について考えることは、実は今後の大学のあるべき姿について考えることにもつながってくのではないか、という気がしてしようがない。それは所詮、今よりももっと巧みなねずみ講のルールを考えることにしか過ぎないのかも知れないが。

 最後の一文が特に(・∀・)イイ!!。すぐ思いつくのは、社会=ネズミ講論だとかいうことだ。国民は全員とりあえずヨーイドン!で学歴社会のピラミッドを駆け上る。戦前は胴元が多種多様いた。戦後はとりあえずでかいピラミッドひとつがメインで、そのなかにいろんな胴元がいるビックカジノ。この希望の胴元システムは、バブルではじけ飛び、希望格差社会になって、希望のプロレタリアが登場する。しかし、インターナショナルもべんせれーもすもへったくれもねぇ。嗚呼、もうだめぽ
 必要なのは、「ネズミ講必勝法」なのか、「ネズミ講にだまされないために」なのか、「ネズミ講、だまされた人の再チャレンジ」なのか、「ネズミ講だまされた人のために」なのか、「ネズミ講を飼い慣らす」なのか。とまあ、なかみのないコピーはいくらでも見つかる。問題は「学問ごっこ」をどう根拠づけるか。白い巨塔な総回診を学内学外でやりまくり、カチンコチンな体制つくって、ビシバシ面倒みれる根拠をつくるのか、あるいはそういうことは個人の問題としてほおかむりをするか。